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雨の日に輝く照降石 [めぐり逢い]

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これも戻ってから解ったことであるが この石鳥居(一ノ鳥居)の
石段にある10段目にはめ込まれた照降石は 長方形の一枚石なのに
赤い石と緑の石を組み合わせた 斜めに2色に分かれ
雨になると 鮮明な色になるという
その石は 鳥居に向かって右の方が赤い石 左が緑の石
10段目の石段の 巾6.5m×奥行き1.7mの真ん中に
はめ込まれていて この照降石は0.52m×1.0m
照降石「てりふるいし」と言われているらしいが
見られるのは雨降りの日 日光東照宮の参拝が
雨降りとは 切ない気もするのだが 一見の価値は・・・
日光東照宮東照宮で雨に降られたら 一の鳥居の照降石である

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日光東照宮 表参道 [余談]

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輪王寺まで戻ると 日光東照宮に向かう表参道で
この先の突き当りで 左に大きくカーブする
フォト上は大谷川の神橋から上がって来る道で
この先(フォト下)が 東照宮社号標 石鳥居
東照宮山門へと続いている 広々とした参道
そして余裕のありすぎる境内を歩き続ける
自分では気付いていないのだが 日光東照宮は
東京の基礎を築いた徳川家康が眠るということで
東京で生まれ育った私の体には 東京DNAが
組み込まれている そんな気がするほど
違和感のない場所に思えるのである

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御仮殿・権現造り [ブラボー]

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御仮殿は権現造りの本殿・相の間・拝殿
唐門・透塀・鳥居・鐘楼からなり 重要文化財に指定
仮御殿が常設されているのは珍しく
御本社の工事が始まると 祭神はこの御仮殿に遷宮し
すべての神事がこの御仮殿で執り行なわれた
創建以来 19回の外遷宮が行なわれたが
幕末を最後にその後は使われていないという
寛永16年(1639)に御仮殿移転の記録があり
火災後の再建とは解るが 決め手はないという
通常は非公開であるが 平成の大修理の時は公開されたという

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仮とは名のみの御仮殿 [時空]

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大護摩堂の後方 日光東照宮宝物館と武徳殿(ぶとくでん)の背後
日光東照宮の石鳥居の東側に在るのが御仮殿(ごかりでん)
輪王寺の境内に在った鐘楼が置かれていた場所である
御仮殿とは御本社を修理する際に御祭神を一時的に
お移しするための御殿で現在の社殿は 寛永16年(1639)の建立
仮の社殿は修理が終わると取り壊されるのが一般的だが
御本社の修理が頻繁に行われたために 仮殿が常設されている
と案内版にあった 御仮殿が常設されているのは
日本の神社の中でも日光東照宮だけであるという
それにしても御仮殿 仮のお姿とは思えないもので
前に構える鳥居の姿も 堂々としたものである

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御仮殿への参道を行く [気ままに散歩]

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さて 輪王寺大護摩堂から表参道を東照宮方面へ行く
途中の左側にあるのがこの脇道で 御仮殿(おかりでん)への
参道であるが 社号標の前なのか 石鳥居の先に
在ったのかは 今となっては不明である
もっともこの時点では 何が在るのかも分からずに
気ままな散歩気分で入ったのである
計画性の何もないのが 私の散歩スタイルであり
そのうちにもう一度行きたいと思っている

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徳川家康の眠る空間 [時空]

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さて時間の都合であったが 日光山輪王寺 境内を巡り終えた
日光社寺は 広大な敷地に東照宮 輪王寺 二荒山神社がある
日光三山を中心とする山岳信仰 の御神体ないし修験道の霊場であった
家康が静岡県の久能山から 一年後に日光と望んだのには
諸説あるようだが 平安時代末には関東の霊場として
関東武士から崇敬され 源頼朝が鎌倉に武家政権を樹立させると
源頼朝も寄進 源氏の末裔を名乗り天下を統一した家康は
頼朝を尊敬していたことからともいわれ また江戸から見て
北辰(北極星)の方角だったからともいわれている
そんなスケールの大きい空間である

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護摩堂横の「鐘楼」 [めぐり逢い]

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「護摩堂」の左側には この鐘楼が在る
この鐘楼および梵鐘は 天保3年(1832 江戸時代)に鋳造されたもの
以前は日光東照宮御仮御殿の敷地内に在ったが
明治政府の初期に発せられた神仏分離令に従い
三仏堂の左側に移設されたもの
華やかさは観られないが 落ち着いた雰囲気の鐘楼である
御仮殿(おかりでん)とは 御本社を修理する際に祭神を
一時的に遷すための御殿のことで 後に登場する

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光明院稲荷社 [時空]

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大護摩堂の脇に在るのは光明院稲荷社
鎌倉時代中期に 第24世座主の弁覚法印が光明院を創建し
日光山本坊とした際に その守護神として勧請した歴史ある稲荷社
古くから日光山の五大稲荷の一つとして
学業成就・家業繁栄の守護神として信仰されている
光明院は戦国時代に一時衰退するも 江戸時代に入り
日光山中興「天海大僧正」(1536−1643)によって再興されるが
明治の神仏分離の混乱の際に焼失したが
この稲荷社は こうして大護摩堂の脇にて
その歴史を伝えているのだという

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護摩祈願所 大護摩堂 [時空]

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「三仏堂」の「裏手」に在るのが この大護摩堂(おおごまどう)である
大護摩堂の内陣には 平安中期作のご本尊「五大明王」
を中心に「七福神」や「十二天」など30躰の仏さまや
祖師像が祀られている 天井には故「吉原北宰」氏が
2年半の歳月を費やして完成した「大昇竜」が描かれている
大護摩堂は 一日5回の護摩祈願が毎日行われる
日光山随一の護摩祈願所であるという

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名前の由来 金剛桜 [な~るほど]

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金剛桜 この名前の由来は明治年間に 当寺門跡諶厚大僧正が
移植されたもので 大僧正の諡号 金剛心院に因んで
命名されたものであり いつしか「金剛桜」と呼ばれた
明治14年(1881) 日光山の総本堂である大伽藍「三仏堂」は
明治政府の神仏分離令に従い 新宮(しんぐう)の境内地
現在の二荒山神社より現在地への移築を余儀なくされた
時の門跡「彦坂諶厚(じんこう)」大僧正は 新たな三仏堂の
境内地にふさわしい景観を整えようと 隣接境内(御霊殿)に生える
山桜の大木を移植したという 推定樹齢400年の老木は
移植ですぐに枯れてしまうのではないかと思われていたが
大僧正は毎日この樹の下に来てはお経を唱え 養生に努めた
その祈りと努力が天に通じ 新たに4本の幹が根元から生え出し
以前にも増して枝葉が繁茂するようになったという
明治31年(1898) 大僧正は亡くなり「金剛心院大僧正諶厚大和尚」
という諡(おくりな)がつけられ 「金剛桜」と呼ばれるようになった

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樹齢500年 金剛桜 [めぐり逢い]

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これが三仏堂の前庭に金剛桜である
例年の開花は 4月20日頃 満開は4月28日前後であるという
東京よりは一ヶ月遅れである この桜の推定樹齢は500年
満開時は見応えのある立派な桜である
地際より数本の支幹に分かれ 特異の樹形をなし
その基部の周囲は約5.7mに及ぶ 繖房状に3~4花を着け
花茎は約3.8㎝で極めて大輪 黄芽 白花大輪の山桜で花香が強い
繖房花序/散房花序(さんぼうかじょ)とは 花軸につく花の柄が
下部ほど長く上部は短いため 全体がドーム状形のこと
花弁は円形で長さ約1.7㎝ 巾は約1.6㎝で縁は重なりあう
この桜は山桜の勝れた突然変異種に属し
加えて樹形の著しきにより名木であるという

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ご本尊は2組の三尊仏 [な~るほど]

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今回は三仏堂は参拝しないが 内陣には日光三所権現本地仏
(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)という三体の大仏さま
(高さ7.5m)と 東照三所権現本地仏
(薬師如来・阿弥陀如来・釈迦如来)という掛仏の
2組の三尊仏がご本尊さまとしてお祀りされている
掛仏(懸仏=かけぼとけ)とは 銅板や鉄板に仏像を刻むか鋳出して
(半肉彫り)柱や壁に掛けて礼拝したもの
 のち木彫・鍍金なども現れたという

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日光山総本堂 三仏堂 [時空]

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黒門を入ると境内は大きな空間で 左手に見えるのが
この日光山 総本堂 三仏堂である 輪王寺の本堂は
日光山随一 東日本では最も大きな木造の建物で
平安時代に創建され 全国でも数少ない
天台密教形式のお堂 現在の建物は正保2年(1645)に
徳川三代将軍「家光」公により建て替えられたもので  三仏堂の前には
天然記念物に指定されている「金剛桜」が植えられてる

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逍遥園と宝物殿 [な~るほど]

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輪王寺黒門を入ると 右手に逍遥園と宝物殿がある
逍遥園は日光の紅葉の名所として有名であり 1250年の歴史を持つ
輪王寺門跡の庭園として江戸時代初期に作庭されたもので
一説には小堀遠州の作と伝えられる  隣には宝物殿があり
1250年を越える日光山の歴史を物語る歴史的・美術的価値の高い
資料が公開されているが 今回は時間の都合でパスをする

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日光輪王寺 黒門 [めぐり逢い]

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日光輪王寺 黒門 これは輪王寺境内側からのフォト
二荒山神社 そして輪王寺大猷院を拝観した私に
残っている時間は少なく 東照宮を拝観するために
輪王寺は 次回に ということで足早に巡ることに
さてこの黒門は 日光山総本坊であった「光明院」の正門で
光明院とは 江戸時代 日光山を中興した「天海」大僧正が日光山全体の
総本坊(本部)として再興したお寺で
延べ床面積約2,600坪の大書院であったが 神仏分離の混乱の際
明治4年(1871)の火災により大半が失われました その表門だったのが
この「黒門」で 境内北側にある「護法天堂」とともに焼失を免れ
光明院の往時を偲ぶ貴重な建物となっている
黒漆塗りのため 黒門と言われ 皇族を日光山の門主(輪王寺宮)と
仰ぐ門跡寺院の格式を示す門で 天海大僧正が
創建したもので 国の重要文化財 菊の紋章が添えられている

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日光山輪王寺へむかう [気ままに散歩]

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さて大猷院から出て 上新道(うえしんみち)を真っすぐ行くと
東照宮への表参道へと突き当たる この先の
左側に東照宮が在り そして右側に輪王寺境内が在る
もっともこの時は 何処に何が在るのかわからない状態だが
これがまた旅の醍醐味である 若いときは時間のロスが
気になったものだが 今の私には時間は豊富であるし
私だけに使用できる時間なので ロスは愉しさや経験として
残って行くだけなのだが 限りなくということではない

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仁王門脇の宝庫 [時空]

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大猷院を見終えて 仁王門まで下って来た
その仁王門脇に在るのこの宝庫である
承応2年(1653)に建てられた建物で 入母屋 銅瓦葺 平入
桁行7間 3間向拝付き 外壁は角材を積み上げ 通気性に優れた
校倉造り 保存性に強く倉庫や倉などの保管庫として採用される
建物全体は朱色を基調として 金具が金 建具が黒で彫刻は
僅かに向拝廻りと外壁の蟇股のみで極彩色で彩られている
蟇股とは 横木(梁・桁)に設置し 荷重を分散して
支えるために 下側が広くなっている部材で
蛙の股の様に見えることから「蟇股」と呼ばれている

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日光の社寺 境内図 [時空]

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「日光の社寺」とは 二荒山神社・輪王寺そして東照宮である
その位置はこのフォトの通りであり 二荒山神社・輪王寺の
大猷院を巡って来た この後は大猷院の東に位置する輪王寺
そしてその北側の東照宮を巡る
私は一日で日光社寺を巡ったが ブログは二か月半で
半分を巡ったことになるが 東照宮は最後となる
日光山内には二荒山神社 東照宮 輪王寺の103棟の建物
(国宝9棟 重要文化財94棟) まだ観るところは豊富にあり
愉しみは増してゆくばかりである

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370年の時を刻む [な~るほど]

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さて日光を訪れて 二荒山神社を参拝し その鳥居の前の
お堂に誘われて入ったのが 輪王寺大猷院 徳川三代将軍
「家光公」の廟所(=墓所)であった それも日光東照宮を
祖父家康を凌(しの)いではならない との遺言で
東照宮よりも小さな規模で 黒と金色を基調とした大猷院
4代目将軍の家綱公の命により造営され 僅か一年で完成
徳川家の墓所は江戸の増上寺および寛永寺とされていたが
家光公の時代に寛永寺本坊が完成させ 死しても
家康に仕えると ここ大猷院に眠る 370年前のことであった

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気ままに輪王寺大猷院 [気ままに散歩]

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コロナ過のなか 2021年五月に訪れた日光山
日光林間学校で来て以来の日光東照宮 記憶には
陽明門 「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿 そして眠り猫
そのくらいしか記憶になかったが 今回 二荒山神社
日光山輪王寺 猷院廟 そして東照宮を見て廻った
自分の時間内で 自分のペースで 自分のリズムで
巡ることの良さは 普段からの気ままな散歩で
理解していたつもりだが 今回体験したことは
これからの私の散歩プランに 生かされる
そのくらいの得たものは多く またコロナ過の
観光客の少ない時期に巡った日光三山 これも
ラッキーな一因であったことは 言うまでもない

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答えは東照宮にて [な~るほど]

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さて その答えはこの後に輪王寺の三仏堂等などを観てを経てから向かう
東照宮で その答えは解るはずで 愉しみである
東照宮の主家康の遺言は「臨終したら体は久能山へ納め
葬礼は増上寺で行い 位牌は三河大樹寺に立て
一周忌以後に日光山に小堂を建て勧請せよ」と伝わる
家康が描いた東照宮がどのようなものであったかは
解らないが 278年間続く江戸幕府を開いた徳川家康の
その存在の大きさ 家康公を御祭神にお祀りした神社
日光東照宮が愉しみである その前に日光山輪王寺
総本堂 三仏堂輪王寺へ行く予定である

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徳川家の権威を保つ仕様 [めぐり逢い]

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皇嘉門は家光の廟所に続く門だが 一般公開されているのはここまでである
皇嘉門の右手の最上段に最後の門となる鋳抜門があり
その先に家光の眠る宝塔が立てられているというのだが
輪王寺大猷院を巡る気ままな散歩は 下ることになる
フォトは大猷院本殿の外装である 祖父家康を凌(しの)ぐ
派手な建物の建造を戒めた遺言は これを観る限り
受け継がれているのか いないのかは判断はできないが
徳川家の権威は落とさないレベルの構造物であることは理解できる

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異国情緒の皇嘉門 [な~るほど]

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皇嘉門(竜宮門)の横にある一対の灯籠である
徳川三代将軍家光の霊廟に このような異国の雰囲気の
皇嘉門が建っていることが不思議に思えるが
皇嘉門とは 元来平安京大内裏の外郭十二門の1つの門で
門には警護する役人が配置され その役名を「右衛門府」と言う
古代 禁中の守衛 諸門の開閉などを司った役所で 大宝令の兵制では
1衛門だったが 弘仁2年 (811)  左右の2衛門府となったと言う
アーチ状の天井の上には天女(天使に類似した女性の霊的存在)が
描かれており 大猷院の参拝客に神聖なる空間に入ることを告げる
日光山に数ある門の中でも 極めて特徴的な意匠であるという

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大猷院 境内図 [めぐり逢い]

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二荒山神社の隣に位置する輪王寺大猷院 その境内図である
常行堂 法華堂 そして一段高い仁王門を入ると
仁王門を入ると左手に宝庫がある 宝庫は下山時に触れる
そして表れるのが水屋で 左手の石段を登ったところに
弁柄色の二天門 2天門の下には 右手に灯篭が並び
別当所竜光院と続く 二天門を過ぎるとまた石段が続き
夜叉門が姿を見せる その前には同形状の鐘楼と鼓楼
そして唐門 拝殿・相の間・本殿 皇嘉門と続いた
輪王寺大猷院 江戸を支配した徳川 日光の
この威厳に満ちた輝きを この後 まだまだ巡ることに

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皇嘉門とは [な~るほど]

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皇嘉門(こうかもん)とは 平安京大内裏の外郭十二門のひとつで
二条大路に面し 皇嘉門大路に向かって建つのが皇嘉門
この門の名は 陽明門と同様 平安京の門の名から採られていて
承応2年(1653)築の国の重要文化財 この門の奥には
最後の門となる鋳抜門(いぬきもん/唐門)
そして徳川家光の遺骸が納められた御宝塔があるが
徳川家康の墓所(日光東照宮奥社)とは異なり
皇嘉門から先は公開されていない

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奥の院入口 皇嘉門 [ブラボー]

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門の先には渡り廊下は無く 現れたのは皇嘉門である
左右に袖塀が付く 日光山輪王寺大猷院は
3代将軍・徳川家光の霊廟で その入口に建つのが皇嘉門で
この先は奥院となり 最奥にあるのが徳川家光の廟所(墓所)
この門は切妻造 銅瓦葺きの楼門で 中国・明朝の建築様式を
取り入れたその形から 竜宮門とも呼ばれている

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家光の廟所(墓所)へ [気ままに散歩]

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この門は この先の皇嘉門へと通ずる門であり
大猷院の拝殿・相の間・本殿を囲む透き塀
その透き塀にある門で この先に在ったのが
外周で出会った渡り廊下と門である
本殿からこの門へ真っすぐに 直接来れるのかは判らないが
唐門を通り 透き塀の内側を進んでくると 左手に在るのが
この門である 大猷院・本殿の前には 力を持った地方大名から
寄進された銅製の灯篭が多数安置され その内の一対は
当時の韓国の王から贈られた灯篭で 大猷院・本殿に最も近い
場所には 徳川御三家によって寄進された一対ずつ
計六基の灯篭が安置されているというのだが
それは後から知ったことなので 確認は出来なかった
それは ブログ「もう一つの時間」の弱点でもあるが
もう一度行く愉しみが 増えるだけのことである
この門の先へと向かう

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大猷院を気ままに散歩 [めぐり逢い]

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こちらは唐門から左右に延びる透し塀
その拝殿・相の間・本殿を囲む内側で 奥が拝殿であり
この場所は本殿の左側に位置する 本殿の前の
透し塀にひとつの小さな門が在り その奥に在る
もうひとつの門が見えるのが 気になるところである
下調べも何もない気ままな散歩 日光まで来て
気ままなのは 失礼に当たるが 散歩の醍醐味は
確認ではなく出会いであり そこから広がる世界を
愉しんでいるのが ブログ「もうひとつの時間」である

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金閣殿の外周を巡る [気ままに散歩]

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拝殿・相の間・本殿が連なる独特な建造物の権現造り
大猷院の中心となる建物は 金箔が大量に使用されていることから
「金閣殿」とも呼ばれている その金閣殿を囲んでいるのが
唐門から左右に延び 拝殿・相の間・本殿を囲む透し塀
その透し塀の外周を 鉄灯篭などを観ながら巡ると
本殿の横辺りまで来ると 目の前には渡り廊下
と思いきや 行く手を阻む小さな門である(フォト上)
この時点では解らなかったのだが この右側は
大猷院の奥院となる 最奥にある徳川家光の廟所(墓所)
フォト下は門の内側からのものである

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10年振りの御開帳 [めぐり逢い]

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令和2年は日光の社寺の世界遺産登録20周年と
「徳川家光公370年御遠忌」にあたり これを記念して
大猷院では本殿(国宝)御宮殿に奉安される「家光公御尊像」が
特別公開されていた 私が訪れたのは2021年5月 令和3年だったが
特別公開は 当初は1年間の御開帳の予定であったが
コロナウイルス感染拡大により 御来山出来ない方が多く
御開帳の期間を延長することになり 幸運にも
本日巡り会い 御尊像をご参拝し 家光公の御遺徳を偲ぶことが出来た

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