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隅鬼は家紋・三葉葵紋 [ブラボー]

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表座敷棟の隅の屋根である この屋根の勾配部分が出会う
四隅にできる山形の部分は「隅棟」と呼ばれ
勾配が異なる部分となる そして下屋や本屋の隅に載せる鬼瓦は
隅鬼(すみおに)と呼ばれ 瓦葺きの屋根の端などに設置される
装飾性のある瓦の総称で 厄除けと装飾が目的とされるものも多く
この隅鬼は 徳川家の家紋・三葉葵紋 葵の葉が三枚である

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違和感を産まない沓脱石 [ブラボー]

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玄関や段差のある座敷から 外に出やすくするために置かれ
室内から庭を眺めたり 外から庭を眺めた時の景観を良くする
そんな役割も果たす 自然の石をそのまま置いたものもあれば
切削して形を整えたものなど 家のイメージに合わせて
様々な沓脱石があるが 一般にはこのような平らな自然石が
好まれる また雨の時には履物をしまえるよう
縁側と石との間は隙間を開けて置かれるという
庭園と日本家屋の建物 違和感のない バランスの取れた
沓脱石 徳川昭武の素晴らしい感性である

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歴史の重みが重なる [ブラボー]

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こちらは西側の縁側に降りる時の踏み台の石であるが
この石の名前 何というのかから始まる
玄関の上り口に設けられている板敷は 式台と言うのだが
縁側や式台などの前に置き 履物を脱いでそこに置いたり
踏み台にしたりする石だが これは沓脱石/靴脱石
(くつぬぎいし)というらしく 「踏石(ふみいし)」ともいう
徳川昭武がこだわりを持って選び抜いたこの石は
落ち着きがあり 今は歴史の重さが重なっている

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庭園からの初フォト [ブラボー]

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友人により その存在を知り 長年 戸定邸に通い
四季折々を確認する場所が 歴史ある屋敷であるのだが
この庭園に降りる機会はなく 今回 それを目的に
訪ねたのだが 庭園はるか奥の東屋からは望めるが
やはり間近でこうしてみると その趣や歴史の重さが
増してくるのであり また今日は 人影の少ないのも
私を大いに満足させる要因でもある
フォトは右側が庭園の正面 左側は富士山を望む西側である

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戸定の日は庭園を開放 [な~るほど]

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庭園から撮った戸定邸の表座敷棟である
戸定邸には"戸定の日"があり 毎月10日・20日・30日には
こうして庭に降りることが出来 中座敷や
奥座敷棟 離座敷棟へも周り 観ることが出来る
この庭園は造られてから130年以上が経ち 変化した所も
当時の写真や文書を調査して 2016年に2年の歳月をかけて
復元され 現在の姿は明治時代のものと同じであるという

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スケール大の庭園 [ブラボー]

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標高25mの戸定邸 そして庭園 昭武は「表」の空間に特に気を遣うい
座敷から見える景色にもこだわり 建物の中から外を見た時
柱が風景の邪魔をせず 庭園の木々も富士山をはじめとして
高台からの眺めを楽しめるように配置されている
応接間として使用した御本間(客間)の床の間には
外国から持ち帰ったものや贈り物を大切に飾るなど
こだわりの空間を 自ら演出していたという
左手にはコウヤマキの巨木 右手はアオギリの
木立に囲まれ 落ち着いた雰囲気の
スケールの大きな空間が この屋敷を包んでいる

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こだわり抜きの庭園 [ブラボー]

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その表座敷から眺めた戸定邸庭園である
表座敷棟の南と西に広がる庭園で フォト上が西側
江戸川と富士山を望む眺望であり フォト下が南側
左手に丘を設け 芝生の広がる庭園で
この美しい庭園は フランスのパリをはじめ
海外を歴訪した徳川昭武がこだわりぬいた庭園で
造園当時は 国内でも珍しい庭園であったという

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入側縁の梁 一本木 [ブラボー]

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入側柱と建物の外周の側柱の間の板の張ったものを
入側縁(いりかわえん) または広縁と呼び 和風家屋は
続き間と入側縁を合わせて 一室に区切ることで客室を
個室に改造したといい 現在でも座敷の続きに広縁があるといい
これは庭園と室内環境を整えやすいことや
建具を開放することで 室内を広く見せることが出来るという
そしてこの入側縁の梁も 今では入手困難な資材で
なかなか見応えがあり 歴史を感じさせるものである

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入手困難なこだわり資材 [ブラボー]

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「入側」とは 縁側と座敷の間にある通路のことを指し
外部と内部を緩衝するための空間で  主に人が通るための
廊下としての役割を果たしている  縁側と同じように扱われるが
入側自体は室内にあたる  同じ縁側でも住宅の外部
外周部に設置されている雨よけや 出入り口の役割をしている
「外縁」や「濡れ縁」とは異なる
フォトは入側の奥に在る板戸である
戸定邸は華美な装飾は控えられた造りであるが
明治時代の徳川家の住まいとして唯一
ほぼ完全な形で現存 今では入手困難な資材で造られている
この双方の戸の資材も 一枚板である

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客間と二の間 入側 [な~るほど]

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表座敷の庭園に接する角から表玄関方向へのフォト
戸定邸の中心となる建物は 全体で64枚の畳が敷かれている
床の間がある部屋は御本間は 一番身分の高い人が
床柱を背にして座り 庭園を眺めたという
フォトは右側は入側 左手前から客間 そして二の間である
入側とは座敷と縁側との間の廊下であるが
このように畳が敷かれているのを縁座敷というらしい
最も格式の高いのは客間 その広さは床・棚付で十畳である

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庭園接点の表座敷 [ブラボー]

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こちらは改めて撮り直したフォトである
戸定邸は江戸時代の大名の居城や屋敷と同じように
部屋や区画に役割を持たせる様式だが 明治17年(1884)に
造られたこともあり その規模が縮小していて
本来は「奥」に位置する御居間(昭武の書斎)が「表」にあたる
本来は来客を迎えるなど 表座敷棟が外部との接点となる
その点が特徴であるという そんな気遣いが伺われる

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座敷から見える景色 [ブラボー]

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渡り廊下を抜けると広がるのがこの世界である
迎えられた来客との接点となる場所が このように広がるが
当時は このように開放感があるわけでは無く
各部屋には襖が在り このような空間では無かった
と思われるが 現在は庭園の観賞用にと思われるが
この屋敷の持つ 広々とした世界が表現される
素晴らしい空間と美意識である

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表座敷への渡り廊下 [時空]

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表玄関から内蔵棟の前 そして表座敷棟へと延びる渡り廊下
戸定邸を訪れる皇族や華族は 奥に在る表玄関から
寄付きで身なりを整え この渡り廊下を経て
右に在る中庭を見ながら 表座敷へと向かう
表座敷の前方には 徳川昭武がこだわりを持って
造成した洋風の庭園が広がるが まだその世界が
広がるのを知らずに 落ち着いた和風の趣に浸り
奥へと通されてゆく そしてその先には

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共に咲くブラシノキ [時節]

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白いバイカウツギとともに咲いていたのは
フトモモ科ブラシノキ属の常緑小高木 ブラシノキ
別名 カリステモン(本来は属名のラテン名である)
この花はオーストラリア原産で 観賞用に栽培され
5~6月頃に開花し 花弁は緑で小さくて目立たないが
赤(ときに白)の長い花糸が目立つ このように
穂状花序(すいじょうかじょ)で
長い花軸に柄のない花が 穂状についている
ビンを洗うための ブラシそっくりの姿で
英語では ボトルブラッシュと呼ばれている

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バイカウツギ [時節]

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戸定邸の庭に咲いていたのはバイカウツギ(梅花空木)である
アジサイ科バイカウツギ属の植物の一種で 別名サツマウツギという
和名の由来はウメに似た花を咲かせることから
「梅花」の名がある 梅と縁のある水戸藩
そんなことから植えられたのか 花期は5~6月頃[
芳香があり このように美しい花が咲くことから
鑑賞用に植栽され花は 香水の材料として採用されるというが
花の匂いをかぐことにより 酩酊したような気分になる人もいる
梅に似ているというよりは やはり紫陽花の雰囲気である

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中庭に在る職員の部屋 [な~るほど]

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蔵の前から表座敷棟に向かう右側に在る中庭
ツツジの花が散り始めている 戸定邸のあちらこちらに
新緑の季節の花が咲いている 向かいの二階には
使用人の部屋があり 表座敷に向かうお客様と顔が
合わないように 窓は閉じられていたという
その前の廊下を通り 表座敷へと向かう

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人造石 室内のお蔵 [めぐり逢い]

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玄関を入り 表座敷棟に向かおうとすると 左側に在るのが
この内蔵であり 建物のなかに造られた蔵である
この倉は二階建てになっていて 厚さ20㎝以上の分厚く重そうな
人造石の扉が付いている 三葉葵のついた箱は長持ちで
衣類や調度品の保管 運搬に用いられた
この二階には 刀などの大切なものが保管されているという

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水戸藩主と藩知事 [な~るほど]

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徳川昭武(あきたけ)(1853~1910年) 欧州のマスコミで
次期将軍と華々しく報じられながら 幻に終わった昭武
新政府は国内で抵抗を続ける旧幕府勢力が 昭武を旗頭に
迎えることを恐れ 水戸藩主の座を用意した上で
帰国命令を出したとされる 帰国した昭武は水戸藩主
同藩知事を務めるが 廃藩置県により藩知事を免ぜられた
明治4年(1871)以降は政治に関わることはなく
同17年(1884) 自ら建設した戸定邸に移り住むと
ここを拠点に作庭や作陶 写真などに打ち込む
そして昭武が心血を注いで完成させた戸定邸の建物と庭園は
国の重要文化財と名勝に指定され 最晩年の戸定邸で
兄・慶喜との交流など 明治維新から155年である

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パリ万博 徳川昭武 [めぐり逢い]

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表玄関を入ると 寄付 そして玄関の間へと続き
左側に受付が在り 入館料を支払う その受付の前に
置かれていたのが このフォトである
1867年7月5日(慶応3年6月4日) パリで借りていた屋敷で
撮影された正装の徳川昭武(あきたけ) 徳川15代将軍慶喜の異母弟で
晩年を現在の松戸市に自ら建設した別邸「戸定(とじょう)邸」で
過ごした水戸藩最後の藩主 幕府再生を狙う慶喜は1867年に当時
13歳であった弟の昭武を将軍名代として パリ万博に派遣
昭武はナポレオン3世に謁見するなど 宮廷外交を通じ
フランスからの資金調達に奔走するが 幕府の崩壊により
目的を果たせないまま 維新後に帰国を余儀なくされた
これは14歳の時 撮影者はナポレオン三世も撮影した
写真家ディスデリであるという

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三つの区画を持つ建物 [な~るほど]

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戸定邸のレイアウトである 現在は9棟が廊下で結ばれ
部屋数は23に及ぶが 江戸時代の大名屋敷の系譜上にありながら
徳川家が権力の座を離れたため 生活様式は大きく変化し
規模が著しく縮小している 建物は大きく三つに分けられ
来客や他家との交際に使う区画 そして家族が暮らす区画
職員のための区画である 華族である水戸徳川家 そして
松戸徳川家も職員を雇用していた 各区画の性格に応じ
建物の構成や材木の質が異なっているという
明治時代の徳川家の住まいがほぼ完全に残る唯一の建物である

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使者の間への配慮 [な~るほど]

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使者の間は部屋に使用される材料は最上等材ではなかったが
庭園の一部を観られるように配慮され また欄間には
幸福を招くとされる蝙蝠(こうもり)をあしらうなど
訪れた人たちへの あたたかい心遣いがうかがわれる
よく見ると障子戸には 竹を使用したのか
障子紙の上に突っ張りがある 障子は 枠組みの中に桟を組み
障子紙を張った戸で 視線を遮ると同時に断熱の役割も果たし
柔らかな光が得られるが これは障子紙の振動を
抑えるためのものらし 初めて観るものであった

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使者の間棟(8畳2間)  [めぐり逢い]

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表玄関を入る前に 内玄関の左側にある二間(8畳2間)
使者の間棟の室内である 表座敷棟に案内される人は
主に皇族や華族(かぞく)で 華族とは明治2年(1869)から
昭和22年(1947)まで存在した近代日本の貴族階級
(旧大名や公家など)で 身分の高い人たち
この使者の間に通される人は 身分が異なっていたため
柱などの使用材は 表座敷棟とは異なり
最上等材ではなかったという

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玄関まえの河津さくら [時節]

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戸定邸 母屋入口正面である
この時は河津さくらが満開時のフォトで
五月に訪れたこれ以降のフォトとは違うが さまざまな
四季の顔を見せ 出迎えてくれるのがここの特徴である
戸定邸は 明治時代の徳川家の住まいがほぼ完全に残る
唯一の建物で 約2年の建設期間を経て 1884年4月に
座敷開きが行われた その後 増築を経て現在は9棟が
廊下で結ばれ 部屋数は23に及び 旧大名家の
生活空間を伝える歴史的価値が 高く評価されているという

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表玄関の奥は寄付き [な~るほど]

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戸定邸の玄関は二つ在り 観光客が入るのは表玄関
徳川家の家族や 来客者が使用していたもの その左隣には
内玄関が在り この左側にある使者の間に通される人が
使用していたといい 時代を感じさせるものである
表玄関を入ってすぐの部屋 寄付きがあり
これは玄関脇にある一室で 袴付けともいい
部屋に入る前に 身なりをととのえる場所である

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春へと誘う戸定邸梅園 [めぐり逢い]

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一年の始まりは二月に知らぬ間に開花する梅である
静かな そして寒い冬の季節から始動すると思えるのは
梅の花見へと動き出す頃である その頃までは
ブログフォトも凍てついている感覚で 梅の香とその
寒気を包み込むような色彩が そう思わせるのである
しかし体は遠出を求めてはおらず 毎年決まって訪ねるのが
ここ戸定邸の梅園である 水戸のと梅は徳川御三家の
水戸藩 水戸家の第二代藩主・徳川光圀 第九代藩主・徳川斉昭
この二人の公が “このうえなく梅を愛していた”
ことから始まり 水戸偕楽園に代表される
水戸藩所縁の戸定邸 この庭も梅の花が良く似合う

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水戸街道松戸宿・戸定邸 [時空]

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千葉県松戸市にある戸定邸である
私のブログの定点スポット その大部分が江戸時代の
大名庭園がほとんどであるが ここ戸定邸も
水戸藩最後(11代)の藩主であった徳川昭武が造った別邸で
戸定邸のある松戸は 江戸時代には江戸と水戸を結ぶ水戸街道の宿場町
松戸宿が在り 標高20~25mの高台にある
今回は初めて戸定邸の庭に降り また館内の案内の説明を聞き
改めてその魅力を発見し とても有意義な時を過ごした
その魅力を追って ブログは進行してゆく

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紅白の梅が迎える館 [時空]

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戸定邸へと入る駐車場への曲がり角に咲く紅梅白梅である
訪ねるのは 水戸藩に関係する人物の館で 水戸と言えば
梅であり その紅白梅が迎えてくれる風情である
この先の小高い丘の上に建つその館からは 東京を一望
キリリと締まった水戸藩 そして幕末の緊張感さえ
感じられる空間にも思うる こスロープの先へと急ぐ

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歴史を語る空間の隅で [時空]

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梅の花と同時に あるいは散り始める頃に咲く河津さくら
戸定邸の近くの坂川(さかがわ) の両岸に咲く河津桜
松戸宿坂川河津桜まつりが行われる場所でもある
菜の花が咲く頃と同じ時期の景色であり これも
桜咲く春へのチェックポイント なかなか見応えがあり
そして空いているという利点がある
静岡県の河津町で 本場の河津桜を観るのも良いが
同じくらいの思いを体感できる お薦めである

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歴史を語る空間 [時空]

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気ままな散歩には 季節を巡る定点スポットが在る
これは菜の花の咲く頃の スポットの周辺のフォト
このように季節の彩と変化を感じさせてくれる
そんな場所だが もうひとつ魅力的な場所でもある
それは 時の流れを残し 今もなお 歴史と共に生きている
そう感じられる場所である 小さなひとつの街だが
大きな時を刻んだ そんな足跡が残っている
千葉県松戸市に在る 歴史を語る場所を訪ねる

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梅雨の合間のランチ [めぐり逢い]

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私もそうであるが 梅雨の雨の最中には家に閉じこもり
散歩さえままならぬ状況で 行動は控えめ
まして傘も差せず 空中を舞うアゲハチョウには
梅雨の合間の気候は 絶好のランチタイムで
花の蜜を求めて 軽やかに飛びまわるその瞬間を狙う
少しも留まることを知らないアゲハチョウ
梅雨漏れの 光と花のなかに舞う

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