SSブログ

小高い丘の慈眼堂古墳 [時空]

IMG_0729.JPG
多宝塔の前方の小高い丘の上には 慈眼堂が建っているが
この小高い丘は慈眼堂古墳といわれる その原型ははっきりとは
留めてはいない 喜多院は天長7年(830)慈覚大師が勅命により
無量寿寺と称して創建したが その200前に作られた前方後円墳で
その場所に慈眼堂と喜多院歴代住職墓所が建てられている
その慈眼堂古墳は仙波古墳群の一つで 周辺には
喜多院山門前にある日枝神社脇に「日枝神社古墳」や 喜多院より
徒歩8分程の場所には「三変稲荷神社古墳」などがある

nice!(0)  コメント(0) 

貫禄の多宝塔 [ブラボー]

IMG_1214-1.jpg
「星野山御建立記」によると この多宝塔は寛永15年(1638)に
着手して翌16年に完成 もとは白山神社と日枝神社の間にあったという
明治45年(1912) 道路新設のため慈恵堂と庫裏との渡り廊下中央に
移築されたが 昭和47年より復元のため解体が行われ
昭和50年(1975) 現在地に完成した
上層は円形で その上に宝形造りの屋根 その上に相輪をのせている
落ち着いた趣のある多宝塔で 喜多院の寺空を締める

nice!(0)  コメント(0) 

太子堂の先に多宝塔 [めぐり逢い]

IMG_0784-1.JPG
その太子堂の先 左側に在るのが多宝塔である
多宝塔は 寺院建築のうち仏塔における形式のひとつで
一般には平面が方形(四角形)の初層の上に平面が
円形の上層を重ね 宝形造(四角錐形)の屋根を有する
このような二層塔婆を「多宝塔」と呼称する
総高13m 方三間の多宝塔で本瓦葺で
江戸時代初期の多宝塔の特徴がよく表れているという

nice!(0)  コメント(0) 

喜多院太子堂 [な~るほど]

IMG_0723.JPG
喜多院の山門 並ぶ番所を過ぎると建つのが太子堂である
聖徳太子の像を祀った仏堂の呼称で 聖徳太子は
仏教を篤く敬い保護し 日本仏教興隆の祖として様々な寺院に
聖徳太子像を安置した堂があり 仏像同様篤く信仰されている
喜多院の太子堂は弘化4年(1847) 当山末寺混合院境内地に
創建され 明治以後廃寺にともない日枝神社境内に移し
更に明治42年に現在の多宝塔建立地に移築
昭和47年 この地に立派な六角太子堂として再興したものである

nice!(0)  コメント(0) 

山門右側に「番所」 [な~るほど]

喜多院 山門&番屋.jpg
山門右側に接して建てられているのは 警備や見張りのために
設置された 番人が詰める番所である 
間口10尺 奥行15尺 桟瓦葺 そして屋根が直線でなく
ゆるやかに弧を描いて膨らんでいる起(むく)り屋根の
の小建築で 徳川中期以後における武家屋敷内の伏屋の形式をもつ
天保12年(1841)の喜多院境内図では 元来山門より
内部に独立して建っていて その後現在の位置に並列させた
天台宗寺院の門構えとしては 必ずしも適当ではないが
現状のまま保存されることとなったという

nice!(0)  コメント(0) 

喜多院 山門を潜る [気ままに散歩]

IMG_0682.JPG
喜多院 山門である 4本の柱の上に屋根が乗る四脚門の形式で
屋根は切妻造り 本瓦葺 もとは後奈良天皇の「星野山」の勅額が
掲げられていたという 棟札には寛永9年(1632)とあり 天海僧正により
建立されたことが分かり 寛永15年(1639)の川越大火で焼失を免れ
喜多院では現存する最古の建物 昭和30年度に部分修理が行われる
川越の喜多院 その響きの世界の門を 目の前にして進む

nice!(0)  コメント(0) 

星野山無量寿寺 喜多院 [な~るほど]

IMG_0691-1.JPG
喜多院は天台宗の寺院で 山号は星野山
良源(慈恵大師)を祀り 川越大師の別名で知られる
その喜多院の山門である 天長7年(830年)に
慈覚大師が無量寿寺を開いたのが始まりと伝えられ
永仁4年(1296) 尊海が慈恵大師を勧請して無量寿寺を再興
北院・中院・南院となる各房が建てられたという
喜多院山門前 古来の風に包まれた世界のようである

nice!(0)  コメント(0) 

喜多院境内と周辺 [気ままに散歩]

喜多院 境内.jpg
喜多院 境内である 山門右側の日枝神社側から拝観する
喜多院は南側の中院 仙波東照宮 五百羅漢
そして松平大和守家廟所などが隣接している
境内には客殿 書院 庫裏(附:玄関・玄関広間・渡廊及び接続室)
慈眼堂(附:厨子) 鐘楼門(附:銅鐘=正安2年(1300)銘)
山門(附:棟札)など 国指定 重要文化財が多い
日枝神社前の喜多院山門へと向かう

nice!(0)  コメント(0) 

喜多院中興の僧天海の像 [めぐり逢い]

IMG_0683-1.JPG
喜多院山門 白山権現(白山神社)の隣に建つ喜多院中興の
僧天海の像が参道を見守っている 天海(てんかい)大僧正
天文5年~寛永20年(1536~1643) 喜多院第27世住職 慈眼大師
会津に生まれ 比叡山・園城寺などで修行し 関ヶ原の合戦後
徳川家康の帰依を受け 幕府の宗教行政に参画した
徳川家康公の絶大な信頼を得 顧問的な存在として知られ
以後 秀忠公 家光公に仕えて行く

nice!(0)  コメント(0) 

白山権現(白山神社) [な~るほど]

IMG_0690-1.JPG
喜多院 山門脇に在るのが白山権現
天長7年(830) 慈覚大師円仁が喜多院を創健された時に
天台宗修験道の霊場である白山より 守護神として
白山の神仏の分霊を祀ったと伝えられている
修験道(しゅげんどう)とは 神様と仏様の両方の力を得る修行方法
天台宗は神仏習合といい 神仏ともに礼拝している
道路向かい側の日枝神社には 同じく創建時に
天台宗の本山である比叡山麓の 日吉大社の神様の分霊が祀られる
祭神は平和・家内安全の神 縁結びの神の菊理姫命(くくりひめ)

nice!(0)  コメント(0) 

社殿 明星社と明星杉 [な~るほど]

IMG_0806-1.JPG
喜多院の山門の先には 社殿 明星社と杉の木 明星杉
鎌倉時代 永仁4年(1296) 尊海(そんかい)僧正が 喜多院の
再興の為に訪れた時には ここに池があったと言われ
尊海僧正がその池の前を通った時に 池の中から光が浮び上がり
そばにあった杉の木の上で しばらく光り耀いた後
空高く飛び立ったという伝説があり 喜多院の山号を
星野山(せいやさん)と称し この地を明星と称したという

nice!(0)  コメント(0) 

喜多院の鎮守 日枝神社 [な~るほど]

IMG_0696-1.JPG
日枝神社の狭い境内には 昔から「底なし穴」と呼ばれる
大きな穴があり 覗き込んでも決して底が見えなかったという
その歴史は天長7年(830) 円仁(慈覚大師)が喜多院を
創建したおりに その鎮守として貞観2年(860)に
山王総本宮 日吉大社を勧請したものであるといわれ
ご祭神は<主>大山咋神 本殿は朱塗りの三間社流造
銅板葺で国の重要文化財に指定されている
拝殿は老朽化が深刻だったため 近年 再建されたもの

nice!(0)  コメント(0) 

喜多院前の日枝神社 [めぐり逢い]

IMG_0694.JPG
その喜多院の山門脇に在るのが日枝神社
こちらを先に観ることに
旧社格は県社で もともと喜多院の境内にあったが
県道建設のため 大正時代に仙波古墳群という前方後円墳を
開削して 喜多院門前に移転したという
驚いたのは 東京赤坂の日枝神社(旧官幣大社)は 文明10年(1478)
太田道灌が江戸城築城の際に この川越日枝神社から
分祀したとある (赤坂日枝神社もそう記述しているという)

nice!(0)  コメント(0) 

喜多院は 山門 [めぐり逢い]

IMG_0695-1.JPG
川越駅から東寄りに進み北へ向かうと 喜多院の山門である
川越の蔵造りの街並み通りの手前 東側に在る
平安時代 淳和天皇の勅により 天長7年(830)に
慈覚大師が無量寿寺を開いたのが始まりと伝えられ
永仁4年(1296) 尊海が慈恵大師を勧請して無量寿寺を再興し
北院・中院・南院となる各房が建てられ 喜多院は
五百羅漢やダルマ市(1月3日)で知られる 境内は順次巡って行く

nice!(0)  コメント(0) 

纏(まと)いのマンホール [ブラボー]

IMG_0807.JPG
川越の街を午前七時 通勤通学の時間に歩き出した
歩いて先ず見つけたのが このマンホールのフタである
センターには 市章と「消火栓」の文字があり
黄色地に水玉模様 両サイドにまといのデザイン 頭には左側に「川」
右側に「越」の文字が入っている
川越は徳川幕府三代将軍家光が幼少期を過ごした街で
昔から 武蔵国の主要な商業都市として繁栄し
現在でも江戸時代を彷彿とさせる建物が 現役で使われている
今日はそんな街を巡って行く

nice!(0)  コメント(0) 

先ずは喜多院へと向かう [気ままに散歩]

小江戸 川越案内⓶.jpg
東武東上線 川越駅を7時に降りた私は 蔵造りの街並み
また時の鐘がある場所も知らずに歩き出したのである
気ままな散歩のモットーは歩いて廻る そして下調べはしない
一度で観れなければ 何度でも行くであり 実際に
川越は続けて五回通うことになる もちろん
場所は重なることもあるが それは見落としを
確認するためであり ただブログは広範囲な川越の町並み
反時計回りで進むことにする 先ずは喜多院へと向かう

nice!(0)  コメント(0) 

川越駅東口から歩く [気ままに散歩]

小江戸 川越駅.jpg
川越駅東口である 蔵の街・川越とは 正反対のイメージであり
小江戸が霞んで見える 椹の街でさえ 駅前はそれなりの雰囲気を
保っていたが どちらかと言えば鎌倉のイメージに近い
もっとも この駅前を離れて歩いて行くと 閑静な住宅街から
江戸の名残が残っていそうな 建物や路が現れるのだが
大雑把に記憶している川越の地図と 歩いている道が
かみ合わずに 不安になって来るのである

nice!(0)  コメント(0) 

朝七時 川越駅を下車 [気ままに散歩]

DSC15292-1.JPG
川越の駅 朝七時である
川越駅は 東武鉄道の東上本線(東上線)と JR東日本の
川越線が乗り入れていて 川越駅の少し先には
西武鉄道新宿線の本川越駅があり 徒歩で15くらいである
朝七時 川越駅は通勤通学の人で混雑気味
「小江戸」と呼ばれる江戸の面影を残した旧市街地 蔵造りの町並みは
ここから北へ1km以上離れた場所に位置しているというが
まずは東口方面へと進むが 思っていたよりも広いエリアで
感を頼りに歩き始める 未だ観光案内所も開いていない

nice!(0)  コメント(0) 

早朝出発 フォト散歩 [気ままに散歩]

東武東上線 池袋.jpg
東武東上線 池袋駅である
電光掲示板の時刻表の間に在る時計は6時20分
早めの行動である 東上本線は池袋駅から寄居駅までを結ぶ
途中の川越駅まで 40分弱で結ぶ
コロナ過だからではなく フォト散歩に行くときは
朝早く電車に飛び乗り 出掛けるのがこの頃の日課であった
この後くらいに 満員電車は全員マスクの状態が始まる

nice!(0)  コメント(0) 

二年前の暑中お見舞い [気ままに散歩]

2021暑中見舞い①.jpg
これは二年前の暑中見舞いである
当時はコロナ過による感染ルートが
まだ飲食の場が大きいと思われていて マスク着用も
意識していなかった気がする 日光東照宮へ行ったのは
この一ヶ月くらい前のことである この風車の絵は
川越の氷川神社の山門で撮ったものである
これから ブログ「もうひとつの時間」の舞台は
川越を中心に進んで行く

nice!(0)  コメント(0) 

川越を巡り 鰻店へ [ブラボー]

_20210610_154028.JPG
これも携帯から出て来たフォトである
今のデジタルフォトは撮影日が記録されていて
それの日付を追いかけて行くと 思い出した
暑い日の早朝に川越に行き お昼頃まで歩き回り
お昼を食べたのが この鰻屋であり
私はそれから続けて五回 川越に通い お昼は鰻と決め
このお店で食べたのである そうである
戸定邸を巡って来たが 次回からは川越巡りとする

nice!(0)  コメント(0) 

昼食時間にハーフ [めぐり逢い]

_20211225_141257 (2).JPG
こちらは後日に行った時に注文したハーフだと思う
ランチタイムということもあり 満腹よりも動きやすい
そんなこともあって 決めたのだと思うが
鰻の量は少なめだが 美味しさは変わらず
それに加え リーズナブルとくれば 徳をした感じである
散歩途中に鰻 ハーフなれど贅沢な時間である

nice!(0)  コメント(0) 

もうひとつの鰻屋 [めぐり逢い]

_20220629_160656.JPG
最近でもないが 鰻の尾花を知ってから 教えて頂いた
もうひとつの鰻屋の鰻がこれである
このフォトの時だったかは解らないが 鰻重をお願いした時に
まだ特上がございますけれどと言われ 発注した
特上はそう数があるものではないらしく
この時は素直に受け入れお願いした そして出て来たのが
この鰻である 特上と言ってもお値段はそこそこ
もちろん ご飯は少なめにお願いしたが この確りとした
鰻の垂この濃さそうな色 そして大きさ ご飯は少なめに
したのだが 全部食べられそうにない と思っていたのだが
この鰻の垂が美味しく 米粒ひとつ残らなかったのである

nice!(0)  コメント(0) 

鰻丼との出逢い [グルメ]

_20200416_171521-1.JPG
こちらも鰻丼である 鰻重は食することが多いが
多分私が初めて食べた鰻丼である
丼りものと重の違いは 器の見栄えの違い
ほとんどのお店では 量の違いだけなのだという
丼物は 鰻を気軽に見せたいから丼ということで
高級そうに見せたいならお重 鰻の量が多くなれば値段は上がる
もっとも中には有田焼の丼を使っているお店もあるという
現在は99%が養殖の鰻で 天然ものなどは少ないと

nice!(0)  コメント(0) 

酷暑のなかの一品 [時節]

DSC_6962-1.jpg
普段は鰻屋には食事として訪れるのだが
厚さを拭いに求めた飲酒のおつまみとして出て来たのが
この小さな鰻であり 満腹感の思いを覚悟しなくてすみ
また色々な食材を愉しめて 美味しさを味わえるのが
素敵であるのだが 真夏の食欲の落ちる季節に
おいしいものを少しづつ食するのも 乙な感じの時間である

nice!(0)  コメント(0) 

仕上げはデザート [な~るほど]

DSC_4982.JPG
真夏の日差しに蝕(むし)ばまれた体に
鰻を それも鰻重と白焼きを食べれば この夏は乗り切れる
もう満足であり デザートも軽く納まる
真夏の昼下がりであった

nice!(0)  コメント(0) 

土用の丑の日の贅沢 [グルメ]

_20210225_145740.JPG
贅沢な鰻のフォトが出て来た 人形町の「梅田」のものである
鰻を食するのは「土用の丑」など 特別な時に食べることが多いが
この日は鰻重と 鰻の白焼きである どのようなメニューかは
解らないが たまにはこんな贅沢をしても良いだろう
夏バテをフォロー 解消するためにも
良い様に思えるのだが 江戸時代から「寿司」・「蕎麦」・「天ぷら」とともに
江戸四大名物であった「鰻」は 今も人気が高い

nice!(0)  コメント(0) 

土用の丑の日とは [な~るほど]

DSC_24979.JPG
今年の土用の丑に食べたのか この鰻重である
この日は8月2日であったが 2023年の夏の土用の丑の日は7月30日
土用は雑節(ざっせつ)と呼ばれ 二十四節気・五節句の暦日とは別に
季節の移り変りをより適確に掴むために設けられた
特別な暦日のことで 次の9つがある 節分・彼岸・社日・八十八夜・入梅
半夏生・土用・二百十日・ 二百二十日 「土用」は季節の変わり目を表し
立夏・立秋・立冬・立春の直前の約18日間の期間をいい
2023年の土用の丑の日は 1月19日 1月31日 4月25日
そして夏の7月30日 10月22日 11月3日である
余談だがこの日の8月2日は カレーうどんの日であるという

nice!(0)  コメント(0) 

人形町・梅田 梅田丼 [グルメ]

DSC_3720-1.JPG
この日 梅田で頂いたのはこの梅田丼である
この梅田丼のお店の口上には 禁断の梅田丼とある
鰻と梅干しは 昔から一緒に食べてはいけないと言われる
「食べ合わせ」だが 梅田丼はその鰻と梅干が一緒になっている
鰻とご飯の間に 梅干しが入っていているのだ
医学的に梅干は 胃酸を濃くしてうなぎの油分の消化を
助けるので好ましいという 食べ物としての相性が良過ぎて
ついつい食べ過ぎてしまうというのが「鰻と梅干し」の梅田丼
江戸の粋人の古くて新しい裏メニューとして とある

nice!(0)  コメント(0) 

ビールのお供に [グルメ]

DSC_3715-1.JPG
鰻を食べに行って 「鰻の串焼き」を食べる
その理由が分かったのがこのフォト 暑い日で
ビールを求め そつおつまみとして注文したようである
お通しには鰻の煮凝りであろうか
鰻の違う触感を愉しみながら 夏バテを防いでゆく
まてよ 食事はどうしたのであろうか(?)
お店は人形町の「梅田」であった

nice!(0)  コメント(0)