手水舎の手水鉢 [癒し]
長元3年(1030)源頼信公により 豊後国(大分県)宇佐八幡宮から
この地に勧請された川越八幡宮は あと6年で創建1000年を迎えるという
さて 参拝時には会釈をして鳥居をくぐると手水舎の水で
心身を清めるのだが 手水舎の手水鉢に花が浮かべられている花手水
心身を清めるまえに 癒される心境であり 龍をモチーフにした水口
水を司る神さまも 少し優しい微笑みに見えてくる
この花手水 実はコロナ禍になってから手水舎の利用を
中止する神社や寺院が相次ぎ 手水舎で手を洗えない代わりに
手水舎に花を飾る花手水を設置する神社やお寺が 多くあるという
秋朝のカフェマジック [癒し]
この木々を抜ける風に包まれる 朝の散歩は
身が引き締まる中に 清々しさと
神聖なる心身へと変わる自分を
想像するのであるが 現実はそんなに甘くはない
されど 自宅へ戻って入れる カフェの味は最高である
秋の味覚は カフェの香りと共に始まる
一年越しの鷺草 [癒し]
この鳥の名は はて [癒し]
このひとつ前のクロアゲハの
ナンパフォトを撮っていた時に
じっと見ていたであろうと
思われるのが この鳥である
私はツバメと思っているのだが
どうも このふっくらした
スタイル 要するに 燕尾服が
少し太めの格好が 本当にツバメ
と 私を迷わすのである
申し訳ないけれど 燕返しという
剣豪・宮本武蔵のライバルとして
名が挙げられる佐々木小次郎が得意
としたとされる剣術 空を飛ぶ
燕が身を返すように 振り下ろした
刃を瞬時に返して即座に二撃目に
転じるというものだが 君のイメージ
からは想像もつかず 空低く飛ぶ
素早い動きが定番の君が こんなに長い休憩をとる姿は あまり見かけない だいいち
鳥というよりも海にすむアザラシのような その愛嬌のある笑顔の君の姿は ツバメでは
なく 他の鳥と思い 調べたが見当たらないのである 解らぬまま 次回は狭山湖へ戻る
喉越しの餌やり [癒し]
先日 カルガモ親子と遭遇
したが 今回はツバメの親子
巡り合いである 郵便局へ振込
に出掛け そのまま散歩へ
良くあるパターンである 公園
へ向かう道すがら ある家の
軒下から聞こえた小鳥の喧しい
くらいの鳴き声に振り向けば
エッ ツバメの巣である いや
懐かしい 都会(都下であるが)
で見るのは 久しぶりであり
静観することに でも あのさ
少し鳴き声が大きいんじゃない
いくら民家の軒下で 天敵から
守られているからと言って
いくらお腹が空いているからと
言って求め過ぎじゃない(?) と
現れたのは親鳥である 取って来た餌を子ツバメに与えているが 三羽~四羽のヒナの
うちの一羽に集中し 子ツバメの口の奥深くまで口ばしを突っ込み 餌を与えている 燕流
餌の与え方である 親は再び水元公園の方角へ餌を取りに 今回は邪魔すること無く離れた
最後の癒しの楽園 [癒し]
ひねもすのたり気分 [癒し]
癒しの花一輪 [癒し]
グットバイ アール・デコ [癒し]
ベニイトトンボ [癒し]
ベランダから望む [癒し]
闇夜に芸術の祭典 [癒し]
定刻通りに納涼花火が始まったが
空はこのように暮れる前であった
会場には未だ 続々と見物客が
到着する状態で 落ち着かない
雰囲気であったが 始まりとともに
動きが止まり 歓声へと変わって行く
左側に給水塔が見える 葛飾納涼花火
大会の目印はこの給水塔 打上げ会場
から 500m位離れた場所である
もっとも近い席は 打上げ会場の
直ぐ前で 見上げる首が痛くなると
思われるが これはひがみとも取れる
この場所は 穴場のひとつとして知られる
多分 柴又駅からメイン会場へ向かう
帝釈天参道は 身動きが取れない状況で
あると思われる 京成金町線はこの時間
一時間に6本 四両編成であり 混雑は
相当なもの 浴衣の帯も窮屈そうだ
癒しの日本家屋 [癒し]
寅さんの忘れ物 [癒し]
フーテンの寅さんのイメージ
は 縦縞ジャケットの肩掛け
スタイルと腹巻であるが 座敷
の隅にそっと置かれているのが
この哀愁漂う 帽子とトランク
寅さんの口上が聞こえてきそう
である 「わたくし 生まれも
育ちも葛飾柴又 帝釈天で産湯
を使い 姓は車 名は寅次郎
人呼んで "フーテンの寅" と
発します 不思議な縁を持ち
まして たったひとりの妹のために 粉骨砕身 売に励もうと思っております 西に行き
ましても東に行きましても とかく土地のおアニィさんにごやっかいかけがちな 若僧で
ございます 以後 見苦しき面体 お見知りおかれまして恐惶万端引き立てて よろしく
お願(たの)み申します」 寅さん・・・ 寅さん・・・ ほら もう柴又の駅に着きましたよ
信濃路より富士山 [癒し]
大地と木々と風と空 [癒し]
信州の大自然の中で [癒し]
菜の花と梅のコラボ [癒し]
おラッチーも猫である [癒し]
こちらも庭園内の猫である
立ち入り禁止の芝生内に 人の
カメラを向けるのも気にせずに
堂々と回遊する姿である まだ
猫が野生動物として活動して
いた頃は もう少し警戒感を
持っていたと思われるが 人と
の暮らしの中で それも薄らぎ
このようなのんびりとした容姿
になったのであろうか この猫
もかなり太めである 猫は農耕
が開始され 集落が出現した時期に 山野でネズミやノウサギを追っていたネコがネズミが
数多く集まる穀物の貯蔵場所に現れ 棲みついたのが始まりと考えられている 穀物には
手を出さず それを食害する害獣 害虫のみを捕食することから 双方の利益が一致 穀物
を守るネコは益獣として大切にされるようになり やがて家畜化に繋がっていったという
おラッチーは猫である [癒し]
カワセミのつぶやき [癒し]
地蔵温泉 十福の湯 [癒し]
瀧音の癒しと景観 [癒し]
日本三名瀑のひとつ「袋田の瀧」
久慈川の支流滝川に架かるこの滝は
高さ120m 幅73mの大きさを誇り
滝の流れが大岩壁を四段に落下する
ことから 別名「四度(よど)の滝」
とも呼ばれ また一説には、その昔
西行法師がこの地を訪れた際
「この滝は四季に一度ずつ来て
みなければ真の風趣は味わえない」と
絶賛したことからとも伝えられている
その味わえるひとつが 秋の紅葉を
迎えた この袋田の瀧の全景である
この日は 秋をより秋らしく感じる
空間にくぎ付けとなる 滝の流れる
音が マイナスイオンとして私の
全身を浸して行く 諸行無常の響き
悟ったような言葉を残しながら
暫くは この風景のなかに身を置く
散るもみじの先に [癒し]
「うらをみせ おもてをみせて
散るもみじ」 (良寛和尚)
下調べを余りしない私は 目的
の袋田の滝を見に行く前には
気にもしていない場所であった
袋田の滝は後に掲載するが
その袋田の滝のある店先の女将
が 永源寺の紅葉は今が最高
是非 行って観てくださいと
客に話していたのが情報源で
あったが 大子駅近くに在るの
だが ナビは不機嫌で どうも
その場所に辿り着かない もう
諦め 他の場所へ移動しようと
思っていた矢先に これもまた
訪れた廃学校の案内人が話して
いて 大子駅の側だと教わり
やっと来れたのであった 迷ったお陰で 大分予定は狂ったが こうして見事な紅葉を掲載
することが出来る この可愛いお地蔵さんとの紅葉には 心温まるのを感じ そして癒され
シャッターを切った 紅葉は一年の悟り(成果) なのであろうか 寺にも妙に合うのである
葛尾城攻略の後に [癒し]
山道に実る花の実である
花にカメラを向ける 余裕が
生まれた証拠である 姫城跡から
ここまで フォトを撮ることなど
思いもつかず 必死で登ったために
その途中の経過をお伝え出来ない
のは残念で仕方がない 途中真夏に
騒ぐ蝉の鳴き声は聴こえたが
生え草の剥げた部分を歩き続け
現れた先の案内板であった
もうこの辺りは 坂城神社に近い
場所である この日は思っていた
よりも大幅に時を費やしてしまい
先を急がなければならないと
新たに多少の焦りが生れたところ
でもあるが 今日の目的である
葛尾城跡へ行くことは達成できた
ことを良しとして 次の目的地に向かう この後は山から降りて麓の千曲川 すなわち
「川中島の戦い」にまつわる場所を中心に訪ねる 戦国時代の舞台は未だ続くことになる
猛暑のだらけポーズ [癒し]
真夏日の癒しポーズ [癒し]
私のブログには似合わない
癒し系の登場で このワンちゃん
目をばっちし開けているが この
フォトもブログの底に眠っていて
今回のアクシデントにより登場
皆さんとは初対面であり 少し
緊張気味の表情でのご挨拶である
愛らしく 今はお茶目にお座りを
しているが 目を離せば直ぐに
走り出そうとする態勢であるのは
どこのワンちゃんでも同じである
お手 お座りの掛け声に反応するが
自発性は全くなく ペットに成り
済ましているお利口さんであり
その健気さがまた 可愛いのである
それにも増して このお座りの姿勢
これはもう 演技を越えており
人間の赤ちゃんと少しも変わらない さて 眠っていたフォトを使用し 繋いで来た投稿
ようやくパソコンが戻って来て通常の作業に戻り 編集作業を始めが もう少しの猶予を
水無月を癒やす花 [癒し]
新緑の水元公園 [癒し]
さて睡眠調整に失敗 日帰り
信州は無理と判断した私は
体を休めることに専念をした
前日 仲間と飲んでいたし
二日酔いでは無かったが賢明な
な判断であったと思っている
買っておいたお土産は生菓子で
賞味期限が無く 本日戴いた
テニスに出掛けようと思ったが
明日(30日)もあるからと判断
午後に公園の散歩に出掛ける
この時期に例年通りに咲くのは
カキツバタ 青い空と水の大地
気分は洗われ 心地よい状態へ変化して行く自分を感じる 風と空気の新鮮さは信州と違う
感じであるが 新緑の風景は同じように思える 今日はIpadのカメラで その雰囲気を試す
のが目的である 操作も良く理解しておらず 両サイドを手で持つ操作も不自然極まりない