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長すぎるチョッと一息 [ちょっと一息]

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スポーツは 継続してテニスを続けられる仲間が二つあり
またゴルフも定期的に誘ってくれて 仲間の存在に感謝をしている
継続的なテニスとゴルフは 体力の変化を直接感じることが出来
それを補うためではないが 好きなフォト散歩のなかで養っている
さて 困っているのブログ「もうひとつの時間」の行先であるが
そろそろ行先を決めようと思っている

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2024年を振り返る [ちょっと一息]

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さて 今年一年を振り返る 甲辰(きのえたつ)の今年は
「甲」には草木の成長を表す意味があり 植物が成長するように
どんどん勢いを増して増えていくという意味があり
昨年まで努力してきたことが 実を結んで成就する年に
と言うことであった 今年の夏は異常気象により
体力の変化を感じる年であったが 盛夏を過ぎて体力は回復
また 例年より大変な時間を過ごした時間もあったが
それも無事に過ごした また 何人かの懐かしい友と
再会した年であり それぞれの時代を共にした人とも
継続して会えるのも嬉しい限りである

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師走も半分が終る [時節]

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さて 十二月も早いもので 上旬が終ろうとしている
今日はひとつ あることの接点があったが
13日の金曜日と言うことで見送った
普段はあまり気にしないのだが すこし心が動いた
師走の忙しさは すべて下旬へと持ち越されて
例年と同じよう師走になりそうである

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時節だけが新年へと [時節]

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2024年冬も やっとそれらしい気候となった今日この頃
まだハンガーには半袖のスポーツウェアが掛かっているが
もう その出番は無さそうな気配となって来たが
夏の暑さと残暑から ようやく解放されて 最近は散歩が増え
体力は持ち直したように感じる 友人と会う機会も得増え
師走は 全速力で走っている感じであるが
しなければならないことは後回し 例年と変わらない始末だ

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冬が来る前に オオタカ [めぐり逢い]

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今までは気付かなったが この公園の魅力は
都会(中心では無いが)で在りながら 都会ならぬ光景と
巡り合えることである フォトはオオタカ それも
捕獲した動物の 肉の塊を啄んでいる
珍しさを越えた感覚のなかの自分が居る

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黄葉と秋の空 [ブラボー]

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こちらは 秋の空を覆う公孫樹の大樹である

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四季と重なるフォト [時節]

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移り行く季節を愉しむひとつの紅葉である
新春の梅に生まれ 春の桜により始まる
太陽が 一巡りする時の経過とともに生まれる四季は
地球の地軸が傾いていることによりおこる
地球の個性により 起こるものであるが
日本ならではの
季節の変化に誘われる気ままな散歩である

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師走の紅葉飾り [時節]

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十二月に入り 暖かさにつられて散歩に出る回数が増えた
秋に入り 彼岸花に始まり 菊花 そして紅葉と
季節の移ろいを 堪能する気ままな散歩である
植物は全てそうだが ジャストタイミングに巡り合うのは
なかなか無いのだが 紅葉(黄葉)となると 少し違ってくるのだが
一年の終わりのクリスマスと大晦日の前の 季節感を味わっておかないと
新年を迎えられない そんな気がするのである

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紅葉が走る師走空間 [気ままに散歩]

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さて 十二月も第一週を終えようとしているが
気象変動の温暖化による影響か 平地では紅葉が見頃を迎えている
本来であれば時節として登場であるが 仕方がない
今は 紅葉巡りを地卯真に散歩をしていて
そのフォトを愉しむことにする

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春日局の辞世の句 [めぐり逢い]

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春日局の辞世の句 「西に入る 月を誘い 法をへて 今日ぞ火宅を逃れけるかな」
「西の方へ没していく美しい月を心にとどめ 仏の道に入って(または
仏の教えに従って)きょうこそ煩悩の多いこの世からのがれることが出来た」
 
墓は 無縫塔(卵塔)で 四方に穴が貫通した特異な形をしているのは
「死して後も天下の政道を見守り 之を直(ただ)さんがために
黄泉(よみ)から見通せる墓を作って欲しい」
という春日局の遺言 黄泉(よみ・おみ)とは 死後の世界を指し
「願いが通る」ということで 穴が開けられたという

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春日局墓石について [な~るほど]

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春日局の墓石の四方及び台石には 夫々穴が穿ってあるが
春日局の遺言に衆議して建立したもので
春日局の強運と賢徳に 又墓石に穴が通っていることから
「肖る」とか「願いが通る」と 江戸時代より港間に
伝えられて ひそかに参詣する人が多くあったという
当時 麟祥院は時域の四囲を「カラタチ」の生垣を廻らしていて
「からたち寺」と言われて来たが 明治二十年頃より施工された
度々の道路拡張などにより カラタチの生垣はなくなったという
カラタチは鋭い刺があり 外敵からの侵入を
外敵からの侵入を防ぐ目的で生垣に使われていた

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「無縫」とは [な~るほど]

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「無縫」とは 縫い目がないことで  天衣に縫い目がなく
人工的に手を加えられた跡がないように 出来上がった文章や
和歌などが自然で美しいことをあらわす
転じて飾り気がなく ありのままで純真な人柄を指すようになり
「天真爛漫(てんしんらんまん)」「純真無垢(じゅんしんむく)と近い意味を持つ
さて 無縫塔(むほうとう)とは

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無縫塔(むほうとう) [な~るほど]

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無縫塔(むほうとう)とは 主に僧侶の墓塔として使われる石塔(仏塔)で
塔身が卵形という特徴があり 別に「卵塔」(らんとう)とも呼ばれる
また 墓場のことを「卵塔場(らんとうば)」という
形式としては二種類あり 一つは基礎の上に請花(うけばな)をのせ
その上に丸みをおびた長い卵形の塔身をのせるものである
もう一つは 基礎の上に六角または八角の竿と呼ばれる台座の上に
中台 請花 卵形塔身がのる 卵形塔身は前者のほうが長く
後者は低い 基礎の下には脚 返花座(かえりばなざ)が据えられることが多い
また 竿 中台 請花には格座間(こうざま)などの装飾が施されている場合がある
卵形塔身は 時代によって形が微妙に変化する なお この卵形塔身に
縫い目がない(一つの石だけで構成されている)ことから無縫塔の名がある
 
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春日局のお墓 [時空]

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春日局の墓である (天正7年(1579)~寛永20年(1643)
三代将軍徳川家光乳母で名はお福
稲葉正成との間に三児をもうけるが 離婚し江戸城大奥に入る
家光(竹千代)が生まれるとその乳母となり 生涯家光に仕えた
この麟祥院は 寛永元年(1624)春日局隠棲所として創建され
「報恩山・天澤寺」と称し 局の死後 寺は局の菩提寺となり
法名にちなみ「天澤山 麟祥院」と改めた
墓地の奥にあるこの局の墓は 無縫塔(むほうとう)で
四方に穴が貫通した特異な形をしている
法号は麟祥院殿仁淵了義尼大姉

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(案内板) 「春日局」 [めぐり逢い]

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お墓の前に建っている「春日局」説明板である
幼名は福 父は明智光秀の重臣斎藤内蔵助利三 母は刑部少輔越智道明の女で
はじめ稲葉佐渡守正成の妻となり 正勝・正定・正利の三子をもうけましたが
慶長九年(1604) 三代将軍家光公の乳母として召出され三千石を賜わりました
家光公が将軍職に就くため献身的な活躍をし 大奥の制度の確立に尽くしたことは有名
寛永五年家光二十五歳の折 疱瘡にかゝられ 諸医の手当てにも験がなかった時
局は斎戒沐浴して東照大権現の神前に詣で 「将軍の病が平癒したら
今後私が病気になっても 絶対に薬を服用しません」と祷りました
その忠誠心に感応してか 日ならずして家光公の病気が快復しました
そのため局は身の終る迄 鍼灸薬餌を一切用いなかったと言うことです
寛永六年京都へ上り御所へ参内し 春日局の号を賜わり 後水尾天皇より
天盃を頂戴しました 同九年再び台命により上洛し 明正天皇より
従二位に叙せられました 寛永二十年(一六四三)九月十四日
六十五歳で卒し 当院墓地に葬られました

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堀田家と稲葉家 [な~るほど]

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佐倉藩堀田家の右側には 館山藩・稲葉家分家の墓
その対面には 淀藩・稲葉家の墓が在る
佐倉藩堀田家の堀田正俊の正室は 春日局の孫に当たる
稲葉正則の娘であり 春日の局とは縁が深い

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佐倉藩 堀田家の正室の墓 [な~るほど]

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春日局の墓に向かうと案内板が在り 初めに佐倉藩堀田家の墓地
稲葉正則の娘 春日局のひ孫に当たる堀田正俊の正室の墓である
堀田正俊は 家光の嫡男・竹千代(徳川家綱)の小姓に任じられ
て頭角を現し 春日局の遺領3000石を与えられている
父・堀田 正盛は 3代将軍徳川家光の乳母春日局の義孫で
三代将軍徳川家光の側近(老中) 佐倉城の築城する
正盛の三男として生まれ 正俊系堀田家初代
徳川光圀らを味方につけて5代将軍に綱吉を擁立した

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麟祥院内 哲学館跡 [めぐり逢い]

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春日局の墓地へと向かう途中に建っていたのが
「東洋大学発祥の地」の碑である
昭和62年 東洋大学創立100周年記念建立
麟祥院ないに在った哲学館の跡で 明治20年(1887)
この麟祥院内に「東洋大学」の前身である「哲学館」が創立された
創立者の井上円了は 安政5年(1858)は越後国の寺に生まれる
明治18年(1885) 東京大学文学部哲学科卒業 2年後の明治20年
哲学と宗教の啓発のため 私塾「哲学館」を境内の一棟を借りて
開校する 哲学館では 授業以外に今日の通信教育ともいうべき
講義録を毎月3回発行し哲学の普及につとめた
円了は大正8年(1919)大連で逝去 享年61歳

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春日通りの麟祥院 [めぐり逢い]

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受付にあった麟祥院案内図である
正式名 天澤山麟祥院(天沢山麟祥院)
麟祥院の前を通る「春日通り」は 三代将軍徳川家光の乳母
春日局の建てた麟祥院の前を通るので その名前が付けられた
春日通りには 麟祥院のほかに 徳川家康の生母 於大の方が
眠る伝通院 そして徳川幕府 最後の将軍
徳川慶喜公の終焉の地が在る

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稲葉氏家紋の手水鉢 [めぐり逢い]

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本堂とその左手の書院の手前に在る手水鉢である
手水鉢には稲葉氏家紋「角切折敷(おしき)三文字」のある手水鉢
折敷紋は 神事や食事に用いられた角盆をモチーフとした家紋
福の母は稲葉良通(一鉄)の娘である稲葉安 又は一鉄の姉の娘・於阿牟
稲葉氏の縁者で小早川秀秋の家臣である稲葉正成の後妻となり
「角切折敷三文字」は 伊予国大三島の大山祇神社(三島神社の総本社)の
神紋として 越智氏一族の多くが家紋として使用し 越智氏一族の
戦国大名 河野氏や一柳氏 稲葉氏 久留島氏などが使用していたもの

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「春日局」となる [な~るほど]

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さて 無位無官の武家の娘という身分のままでは御所に
昇殿する資格を欠くため 他界していた三条西公条の息子
三条西実条と猶妹の縁組をし 公卿三条西家(藤原氏)の娘となり
参内する資格を得 三条西 藤原福子として
後水尾天皇や中宮和子に拝謁 従三位の位階と「春日局」の名号
及び天酌御盃をも賜った 「春日局」の名号は 通説では
彼女の出身地である但馬国春日郷にちなんだ命名とされている
その後 寛永9年(1632) 再上洛の際に従二位に昇叙し
緋袴着用の許しを得て 再度天酌御盃も賜わる よって二位局
とも称され 同じ従二位の平時子や北条政子に比肩する位階となった

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