SSブログ
ブラボー ブログトップ
前の30件 | -

上花輪 欅(ケヤキ)並木 [ブラボー]

IMG_2743.JPG
桝田家住宅 その前の甲子講道標を過ぎて道なりへ左に入ると
広がるのがこの空間である 新鮮な皐月とも思える
神聖な世界へと導いていくような光景である
この欅並木は この先の髙梨家が 街道沿いに植林したもので
江戸川まで続いている この辺りは昔 上花輪村と言われ
野田市上花輪として地名が残る 
欅(ケヤキ)は野田市の木となっていて 市の花はツツジ
野田市の鳥はコウノトリではなく ひばりである

nice!(0)  コメント(0) 

桝田家住宅 土蔵 [ブラボー]

桝田家住宅土蔵.jpg
桝田家住宅の土蔵 そして土蔵の鬼瓦である
この土蔵は大正15年/昭和元年 昭和前期に築造されたもので
土蔵造2階建 瓦葺 建築面積30㎡ 主屋南のオクニワの
東寄りに建つ土蔵造二階建で 切妻造桟瓦葺 西面戸口に
モルタル塗鉄扉を吊り 下屋で主屋と接続する 外壁はモルタル塗で
石造風に目地を切り 一階南面と二階南北面に鉄板葺庇付の窓を開く
こちらは南面 小屋は二重梁の和小屋 近代的な外壁の土蔵である

nice!(0)  コメント(0) 

飛んだ その瞬間 [ブラボー]

IMG_2029-1.JPG
羽根を広げたのは 次の瞬間であった
シャッターに乗せた指が 勝手に動いて行く
そんな思いと同時に 情景は流れて行き カメラを流して行く
上手く撮れていることもあるのだが この瞬間に出逢えたことを
嬉しく感じる そんな瞬間であった
この時は満足という実感はなかったが 満たされた
そう感じていたのは確かである
今はこうしてフォトとして残っているのが解るが
この時は 上手く写っているのかも未知の世界であった

nice!(0)  コメント(0) 

移設された御用蔵 [ブラボー]

亀甲萬 御用蔵.jpg
これが野田駅近くの野田工場内に移された御用蔵である
移築前の御用蔵は 宮内省(現宮内庁)にお納める醤油の
専用醸造所として 昭和14年(1939)に江戸川沿いに建設されたが
老朽化で大規模な補修工事が必要となり 70年の節目に
移築工事を行った 移築にあたり 醤油を仕込む木桶
屋根の小屋組み 屋根瓦 石垣 門などは移築前のものを使用し
原形に近い形で再現し この御用蔵では現在も宮内庁に
納める醤油を醸造していて また 伝統的な醤油醸造技術や
1939年の御用蔵の建設当時の道具や装置を保存・展示しているという
申し込めば 見学も可能である

nice!(0)  コメント(0) 

戸邉家の倉庫と米蔵 [ブラボー]

戸邉五右衞門家 倉庫.jpg
フォト下は江戸川の堤の上からのものである
戸邉五右衞門家の倉庫は 昭和24年(1949)の建築で 主屋の西南
江戸川堤防に面して建ち 桁行8間 梁間3間と規模が大きく
木造2階建 寄棟造桟瓦葺とし 平側に吹抜け下屋を設けている
外壁はモルタル塗一部下見板張 内部は桁行で2分され 川側に居室
主屋側には 吹抜けの広い収納スペースを設けている
米蔵も同じく昭和24年(1949)の建築で 主屋の東南
通り沿いに位置している 桁行5間 梁間2間の寄棟造妻入桟瓦葺の
木造平屋建である 外壁はモルタル塗 内部は桁行で2分され
入口側は米や味噌などを収蔵する蔵 背面側は養蚕部屋として
使用されたという 歴史的な屋敷構えを構成する一要素であるという

nice!(0)  コメント(0) 

活動開始の予感 [ブラボー]

IMG_1976-1.JPG
さて 大空を回遊していると思っていたコウノトリは 飼育室のなかで
思いもよらぬ出会いであったが 狭い空間ではあるが
兎に角羽根を広げた 鳥らしい姿を撮りたく
少し待つことにする とは言え それがいつやって来るかも
解らない状態で シャッターに指を乗せながら
その瞬間を待つ 私のなかに流れる時間との闘い
そして 羽を広げた姿の瞬間への希望 期待が膨らむ
その一瞬のフォトがこれであり 開いてはいないのだが
今まで閉じられて見えなかった羽根の様子がチラリ
待っていた瞬間であるが この後の保証は何もない

nice!(0)  コメント(0) 

野田橋と菜の花堤 [ブラボー]

江戸川 野田橋.jpg
ヒゲタ醬油の西側 江戸川に架かる野田橋である
江戸川の堤は菜の花が満開で 青空との彩が素晴らしい
対岸の遠方には 日光の男体山であろうか 雪を被っている
ここは河口からは39.3kmの距離だが この江戸川は江戸時代
人工的に造られた河川であり この野田市上流で利根川と別れ
東京湾に注ぐ 流路延長約60km 徳川家康の命により
江戸時代初期に行われた 東京湾にそそいでいた利根川を
東遷事業の一環として 現在の銚子方面へ切りかえ
1600年代初頭 現在の千葉県関宿から金杉(埼玉県松伏町)までの
18kmが開削され誕生したという これにより
江戸川をはじめとする利根川水系の整備により 舟運路が整備され
江戸へ各地からの廻米など物質を運ぶ輸送経路として繁栄し
河川沿いには 河岸とよばれる港が整備され 大きな河岸は
野田や松戸など 独自の文化をもつ都市として発達し
舟運は鉄道が発達する大正まで 江戸川の持つ大きな役割の一つであった

nice!(0)  コメント(0) 

台座内に三猿の石仏 [ブラボー]

三猿の透かし彫り.jpg
天狗を思わせる大きな鼻の 2mの猿田彦神が建つ台座には
穴が掘られていて 台座内には三猿の透かし彫り その像である
猿田彦の丸彫像は 市内ではいくつか見ることが出来る言うが
この像は その中でも彫刻 形容 大きさともに優れているという
三猿とは 3匹の猿が両手でそれぞれ目・耳・口を隠し
「見ざる 聞かざる 言わざる」という叡智の3つの秘密を示す
意匠であり 日本が三猿発祥の地と思われがちだが 3匹の猿という
モチーフ自体は 古代エジプトやアンコール・ワットにも見られるもので
シルクロードを伝い 中国を経由して日本に伝わったという
見解もある 「論語」には「非礼勿視 非礼勿聴 非礼勿言 非礼勿動」
(礼にあらざれば視るなかれ 礼にあらざれば聴くなかれ
礼にあらざれば言うなかれ 礼にあらざればおこなうなかれ)
という一節があるが 「見ざる 聞かざる 言わざる」
そうすると私のブログは フォトブログになってしまう

nice!(0)  コメント(0) 

桜満開 須賀神社 [ブラボー]

IMG_1798-1.JPG
さて こちらは茂木七郎右衛門家より本町通りに出て
下町交差点近くにある須賀神社である
前回訪ねた時とは違い 今回は桜が満開で迎えてくれた
実は須賀神社でも 見落としていたものがあり
今回 再び立ち寄った時の光景である
季節により趣が違うのは 地球と太陽の自然関係によるもので
地球の自転軸が 太陽の軌道に対して約23°.4 地球が傾いていて
その傾きから日本に独特の四季が生まれ 日本的文化が発展したのだが
そんな大げさなことではなく 今日は先日
気が付かなかったものを 確認しに来ただけのことである

nice!(0)  コメント(0) 

額殿(絵馬殿) [ブラボー]

額殿 (絵馬殿).jpg
本殿と神楽殿の間に建つ額殿(絵馬殿)
内外部に絵馬等を掲げるが これはその一部である
桁行一間梁間二間 屋根は緩やかな起りを付けた切妻造で
銅板を葺く 背面を板壁とする他は吹放ちで土間とし
板壁の前面に腰組を現した腰掛があり
本殿と同じ立川流大工の作で 丁寧な造作になっている
明治29年(1896) 木造平屋建 銅板葺 建築面積7.4㎡

nice!(0)  コメント(0) 

琴平神社本殿装飾 [ブラボー]

IMG_1720-1.JPG
琴平神社 本殿の扁額と装飾である 琴平神社の
本殿・神楽殿・額殿(絵馬殿)・手水舎は ともに立川流の宮大工
佐藤庄助則久と里次則莊の建築
佐藤庄助則久は 梅郷村山崎(現・野田市山崎)に住んでいた
立川流宮大工で 茂木七郎右衛門家琴平神社や 金乗院鐘楼堂など
息子の佐藤里次則壮とともに 野田を中心に数多くの御輿や
寺社建築を手がけ 明治12年(1879)には 皇居赤坂御所の
御用工事にも携わったという 日本の伝統彫刻は
仏像彫刻と楼閣建築の装飾をする宮彫とに 大きく分けられる
ある
nice!(0)  コメント(0) 

琴平神社 新旧狛犬 [ブラボー]

琴平神社 狛犬.jpg
鳥居の後ろ側には 狛犬が鎮座している(フォト上) ところが
境内に入って直ぐに もう一対の狛犬が鎮座する
こちらの方が風化が進んでいて 寛政元年(1789)の創建時から
鎮座していた狛犬と思えるほどである
兎に角 街中を歩いていても 大きな敷地の家は
そのほとんどがキッコーマンの操業にと関わりのある
そのような名前が多く 一般の家にしても
お醤油関係の仕事に携わっていると思えてしまうほど
貯蔵タンクが あちらこちらで出逢う街なのである
琴平神社への祈りが この街を発展させたのかも知れない

nice!(0)  コメント(0) 

愛宕神社 本殿の彫刻 [ブラボー]

IMG_0244-1.JPG
愛宕神社の本殿の特徴は 施されているこの装飾彫刻である
建物の規模としては小さいのだが 余すところのない彫刻は
「匠の里」と呼ばれる花輪村(現在の群馬県みどり市)出身の
二代目石原常八の作で 当時かなりの腕利きで 関東一円に
その作品を残し 意匠や技術に優れた江戸時代後期の典型的作品である
木の端に付けられた彫刻の木鼻には 獅子鼻貘鼻 龍鼻
雲形花や葉をかたどった植物鼻などがあり
屋根を正面の階段上に張り出した向拝部分や
羽目板(壁)から縁下の組物まで  柱や貫までも文様が
彫り込まれ 圧倒されるその姿である

nice!(0)  コメント(0) 

清水公園 満開の桜 [ブラボー]

IMG_3138.JPG
桜満開の清水公園を ひとり占めする時間帯に入った
混雑した通勤電車に乗った 出掛けて来た甲斐があった
なんと贅沢な時間と 情景を持てるのかと改めて思うが
何時もこんな状態でないことも確かであり
その点は お間違えの無いように願うものである
満開の桜と快晴の空の空間 誰も居ない園 言葉はいらない

nice!(0)  コメント(0) 

迎える散り桜の小路 [ブラボー]

IMG_3158-1.JPG
清水公園の桜は ソメイヨシノを始め シダレザクラ 陽光
そしてサクラモチの葉に使われるオオシマザクラなど 50種
約2000本の様々なサクラが 迎えてくれるが 有名な
樹齢100年を越え 一度朽ちて 親木の中から新芽が育ち再生した
生命力みなぎる名物桜 「却初の桜」など このような状態で
観られるのは 朝一の気ままな散歩だからであり
散り桜で埋まった 抒情的な 誰も居ない路を歩いて行く

nice!(0)  コメント(0) 

慈光山金乗院 本堂 [ブラボー]

金乗院 本堂.jpg
慈光山金乗院 本堂である 応永5年(1398) 京都・醍醐寺の
修行僧 宥秀上人により開山され 600年余りの歴史を持つ
ご本尊は秘仏の薬師如来像 また本堂内には安政6年(1859)に奉納された
市内に唯一現存する 60(縦)×93(横)㎝ 杉の一枚板の算額や
徳川家の御朱印状(非公開)が奉納されているという
「算額」とは 神社仏閣に掲げられた絵馬の一種で 額面に
日本の伝統的数学「和算」の問題を載せたもので
その解き方をも書いた絵馬である
埼玉県は現存する算額の数は全国でも多いというが
金乗院の算額は 市内に現存する唯一のものだという

nice!(0)  コメント(0) 

中央小学校正門 門柱 [ブラボー]

野田市立中央小学校正門.jpg
こちらは野田醤油発祥の地の手前 野田市立中央小学校の
敷地西方の本町通り(流山街道)に面して建つ正門柱である
石畳を経て3年館(昭和3年建築)昇降口に至る 間口3.5m開放の花崗岩門柱に
煉瓦造モルタル洗出仕上脇柱と 色モルタル仕上袖塀を付設する
柱は断面方形で頂部に水勾配を取り 脇柱は控壁付きである
明治6年(1873)に学制が施行ると共に創立された 全国的にも
古い歴史のある小学校の表構えを形成している
奥に見える校舎は 桁行83mに及ぶ長大な三階建校舎で 一階外壁は
横目地を入れ 三階まで柱形を立上げ 道路側ファサードの
柱型上部に 亀甲紋の入った装飾が施されている この校舎は
「キッコーマン(株)」が寄贈 当初昭和記念館と呼ばれていたという
醤油の街の小学校である

nice!(0)  コメント(0) 

茂木七郎治邸 [ブラボー]

茂木七郎治邸.jpg
キッコーマン給水所の前に在るこの建物 茂木七郎治邸である
醤油醸造で財をなした豪邸が見られるのは野田の特徴で キッコーマンの
経営にも携わった茂木七郎治の邸宅 この長屋門が威容を誇る
江戸時代末期の建物で 野田地域で最古の住宅であるといい
長屋門を持つ農家風住宅 一部改築されているが地代官で
あったことから代官屋敷風でもあり 建築当初の様子を残す建物

nice!(0)  コメント(0) 

興風会館「エントランス」 [ブラボー]

興風会館  玄関.jpg
興風会館「エントランス」である 玄関の正面デザインは
左右対称のルネサンス様式 玄関にはこのように
荘厳で重厚なロマネスク様式の 半円アーチをしつらえている
地域の社会教育活動を推し進める拠点として
1929年に完成したこの建物の設計は 神田駿河台の
明治大学旧校舎も手掛けた大森茂氏 近世復興式の粋を集めた
この建築様式は 千葉県庁に次ぐ大建造物の威容をまとい
訪れる人に深い感銘を与え 当時の人々をも驚かせたという

nice!(0)  コメント(0) 

野田繁栄の面影 [ブラボー]

IMG_0367.JPG
建物を正面から見たときの外観(ファサード)は ルネッサンス風の
意匠を基調とし ロマネスク風アーチからなるゆったりとした
玄関部をはじめ 全体として威圧的にならない構成にまとめ上げている
設計は大森茂 施工戸田組 2階には講堂があり その空間構成や
階段廻りの意匠など 建築的に見るべきものがあるという
500人以上を収容できる大ホール 小講堂 ギャラリー
会議室は今も貸し出され 創業者が願う通り文化の拠点
館内の見学は 受付を済ませば自由に観ることが出来る

nice!(0)  コメント(0) 

サイロに亀甲萬の文字 [ブラボー]

IMG_0416.JPG
野田市駅から見えるキッコーマン野田工場 歩いて3分の所に在る
野田工場は連なった大きな原料サイロと キッコーマンマーク
とても印象的であり  今は世界のKikkoman 本拠地は
ここ野田市であり この街を代表とする企業である
この大きなサイロの中には 醤油の原料となる大豆や小麦が入り
サイロには六角形の「キッコーマン」のロゴマーク
「キッコー」は創業の地 下総国の一宮である香取神宮が鎮座する
「亀甲山」(かめがせやま)」に由来し 「マン」については
香取神宮の神宝は「三盛亀甲紋松鶴鏡」の亀甲紋様を図案化したとも 
「亀は万歳の仙齢を有する」という故事から亀甲にちなんで
「萬」の文字を入れたといった伝承だが 定かではないが
世界にも通ずる 日本語のロゴマークが素晴らしい

nice!(0)  コメント(0) 

総檜造りの金宝殿 [ブラボー]

IMG_3638.JPG
茂木佐平治家の屋敷神として 稲荷神と龍神を祀っていた金宝殿
金宝殿(金寶殿)  茂木佐公園に鎮座する社殿は 大正3年(1914)
茂木佐平治邸に 稲荷と龍神を祀る金宝殿として建立
大正15年に 茂木佐公園を一般公開すると それ以降は
平成17年まで よろこび教会釈尊堂となっていたが
現在は旧称 金宝殿に復している
総檜造りで 十二支の彫刻が施されているが
内部見学は不可で 一時釈迦堂としても使用された
この社殿や 手前に在る手水舎には彫刻が多く施されている

nice!(0)  コメント(0) 

母屋 正面玄関の衝立 [ブラボー]

飛魚図.jpg
これは正面玄関の雛壇の横に在った衝立(ついたて) 「飛魚図」である
原画は顔料の剥落は無かったが 絹本(絹地)の破れや全体的に
汚れが多く 修繕されたが この衝立には修繕され複製画が
入っている 大きさ(外装)は 横126×縦115㎝(脚を除く)
作者は京都舞鶴出身の藤山鶴城(ふじやまかくじょう)明治3年(1870)~?
このように画面いっぱいに悠々と泳ぐトビウオの群れが描かれている

nice!(0)  コメント(0) 

茶室「松樹庵」 [ブラボー]

IMG_3861.JPG
瓦 柱などすべて特別に注文の母屋 松・竹・梅の間を囲んでいる庭
流れの庭の前に隣接するのが 茶室「松樹庵(しょうじゅあん)」
茂木佐平治家の先々代により 明治初期に元の茂木佐平治邸に
建てられたもので 昭和初期に解体され 昭和43年(1968)には
別の場所へ再築 その後 市が寄贈をうけてこの地へ移築し
昭和59年(1984)に市民の茶室として開庵したもので
茶会や歌会などに利用されている

nice!(0)  コメント(0) 

寄木細工造りの床板 [ブラボー]

寄木造りの床.jpg
驚くのは洗面所の床(フォト下)と洗面台の下の引き戸(フォト上)
説明されなければ解らない ごく普通の床 引き戸だが
これは寄木造りで造られているという つまりいくつかの木材を
はぎ合せて仕上げているといい なかなか珍しいもの
でもどうして寄木細工の床なのかは疑問だが 我々の
考えには及ばないのか この頃の時代の変化であり
歴史の変遷のなかの時の流れなのか それにしても
匠の技は 時代に左右されることは無いのである

nice!(0)  コメント(0) 

庭園内からの母屋 [ブラボー]

茂木佐邸 母屋.jpg
野田市民会館(旧茂木佐邸) 母屋である
フォト上の左側の大玄関からから入ると 以前は商いの間
として使用されていた市民集いの間があり
廊下伝いに右へ曲がると左側の棟 雪・月・桃の間があり
そして右側の棟 梅・竹・松の間が続いている
部屋の前には日本庭園が広がり 各部屋に落ち着いた雰囲気を
演出する 現在でも静かな佇まいを保ちながら
時が降り注いでいる そんな表現がピッタリする空間である

nice!(0)  コメント(0) 

仏間は折上格天井 [ブラボー]

IMG_3560.JPG
この部屋は雪(6畳)・月(8畳)・桃の間(3畳)と続く3間続きの部屋の
桃の間で かつては仏間であり この部屋の天井は折上格天井
(おりあげごうてんじょう) このような天井は書院造などで良く見られ
天井の中央部分を周囲より一段高くとった天井で
折上格天井は 木を組んで格子状に仕上げた天井様式の
「格天井」の中央を凹ませた様式である 「格天井」は最も格式の高い
伝統的な天井様式とされ 寺院や神社 お城の天井に多く使われている
この天井の最大のメリットは 部屋に奥行きが生まれる点にあり
天井の中央部分が一段高くなっていることで開放感が生まれ
部屋を広く見せることが可能であるという

nice!(0)  コメント(0) 

瓦当文様欄間 [ブラボー]

竹の間 欄間.jpg
これも欄間である 奥の部屋の楓の間と竹の間の間にあるもので
円の中に様々な文字が透かし彫りで彫られている珍しいもの
この欄間の紋様は 中国の瓦当(がとう)の紋様に似ているという
瓦当とは 瓦屋根の軒先部分の丸い(あるいは半円)部分の名称で
それと似た紋様の瓦当文様欄間 本来であれば 室内の通気や
採光なのだが 透かし彫りが施された 室内装飾に近いものである
そこには 天明2年(1782)に始めた 醤油醸造業の
歴史と伝統の重さが垣間見られる

nice!(0)  コメント(0) 

欄間に天窓からの明かり [ブラボー]

雪・月の間 欄間.jpg
雛壇が飾られている雪の間(六畳)・月の間(八畳)である
この手前に桃の間(三畳・仏間であった場所)がある
大正期に造られた茂木佐邸で目を見張るひとつは この欄間である
ひとつひとつの欄間が趣があり またよく見ると
欄間の向こう側に光が見える そう 天窓が切られているのである
以前 松戸の戸定邸を訪ねた時も驚いたのだが 戸定邸は
格式や規模 体裁 そして増築して行った背景があるが
茂木佐邸は 豪商の邸宅で実際に昭和二十年代後半まで
生活が営まれていた場所であり 生活感のなかの
工夫と匠の技が 至るところに観られる そんな屋敷である

nice!(0)  コメント(0) 

雛人形 御殿飾り [ブラボー]

野田市民会館 雛壇.jpg
初めてと思われるくらいの雛壇を観た 御殿飾りと言うらしい
御殿飾りとは 平安時代における京都の寝殿を模した雛飾りで
江戸時代後期から昭和にかけてつくられ 特に明治・大正時代頃に
京都を中心とした関西地方で多く取り入れられ 京大阪で流行した
建物の中に内裏雛を置き 側仕えの官女 庭掃除や煮炊きの役目を果たす
仕丁(三人上戸) 警護にあたる随身(左大臣・右大臣)などの人形を
添え飾れたもので 御殿があることで 人形の役割もよくわかり
飾りの中にも遊びの要素が加わり また 京都の人たちが御殿を 御所の
紫宸殿に見立てたことから 桜・橘の二樹も登場する

nice!(0)  コメント(0) 
前の30件 | - ブラボー ブログトップ