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香取神社境内 庚申塔 [時空]

香取神社 庚申塔.jpg
境内は広く そして歴史を感じる 野田市の神社仏閣を
いくつか見て来たが どこも重量感があり そして装飾の
豪華さであるが これもお醤油製造関連の創業家の茂木家(6家)
そして高梨家 堀切家などが関係していると思われる
香取神社境内には 菅原神・大杉神・粟島神を祀る祠の他
宝暦11年(1761)から明治に至る青面金剛塔や庚申塔 石碑があり
玉垣には上花輪樽屋中 (13名)が名を連ねている
祭礼では大杉神輿が担がれるといい この神輿は
大正14年 野田市山崎の宮大工佐藤里次則壮氏の手により誕生し
総欅作りの白木みこしで彫りの彫物は 東京柴又の帝釈天の彫物を
手掛けた石川信光氏の作 台座は11.6m(3尺8寸)高さ孔雀まで2.3m(7尺6寸)
重さは不明 担ぎ棒の長さは12m 関東のみこし ここに有り
夏の夜ゆったりと左右に揺れる様は 重量感に満ちているという
現在も続く 醤油の街 野田である

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琴平神社の本殿 [時空]

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琴平神社 創建は寛政元年(1789)である
社殿は明治5年(1872) 木造平屋建 銅板葺 建築面積4.0㎡
二代茂木七郎右衛門家宅地隣の境内に南面に建っている
桁行二間梁間一間 前方一間吹放ち 向唐破風造の照り起り屋根を
架け妻入とする 虹梁形頭貫を波紋籠彫の持送で受け
中備の透彫や板支輪など精緻な彫刻で充溢させ 笈形や兎毛通しなど
立川流大工の技量が冴える近代社殿である

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平神社手水舎 [時空]

琴平神社 手水舎.jpg
琴平神社内の手水舎 本殿南東側に東西棟で建っていて
桁行一間 梁間一間 切妻造銅板葺である
四本柱を内転びに立て 頭貫で固めて木鼻を付し 台輪を廻す
組物は三斗 妻飾は虹梁大瓶束とし 破風に鰭付蕪懸魚を飾る
軒は二軒で屋根に強い照りを付ける 本格的な形式をもつ手水舎
もちろん琴平神社には社務所も無く おみくじなども無い
人影のない境内だが 本格的な造りの手水舎など
神域の空間と向かい合う そんな雰囲気である

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お醤油の街の由縁 [時空]

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この通りの両側に キノエネ醤油の工場が並んでいる
木造二階建ての事務所は明治30年の建築で その東側に木造二階建ての
主屋が明治36年に増築され 事務所兼主屋と東側に続く
黒い板塀は レトロな雰囲気を醸し出し 歩いていても
落ち着ける雰囲気を持っている
野田市の街辺りは 何処を歩いていてもお醤油関連の工場や
施設に巡り逢う 工場には必ずと言って良いほど
このような大きな貯蔵タンクが見られる

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清龍宮・天満宮 [時空]

金乗院 清龍宮・天満宮.jpg
こちらは不動堂(清水開運不動尊)の左隣に建つお堂は
清龍宮(右側)と天満宮(左側)である
清龍宮は京都の醍醐寺より勧請された神様で 当院の守護神
身代わり厄除け・服抜きの神様として信仰されている
ちなみに「服抜(ぶくぬ)き」とは 身内に不幸があり
慶事ごとに赴きたい際に 清龍宮に手を合わせれば身を清められ
何事もなく行事に参加できると言われている
天満宮は 平安時代の偉大な学者である菅原道真公を
ご神体とする学問の神様で 受験の神様として知られている
受験シーズンも終わり 参拝者は居なかった

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「劫初(ごうしょ)の桜」 [時空]

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約2000本の桜が咲き誇る歴史ある自然公園の清水公園
金乗院の境内には 一度朽ちた幹から自根を伸ばして
再生した古木 樹齢100年を超すソメイヨシノ 「劫初の桜」がある
劫初とは 仏教の世界観のサイクルで 「成・住・壊・空」
世界の成立から破滅に至る四大時期
成劫(じょうこう) (草木などの衆生世間と器世間が成立する期間)
住劫(二つの世間が安穏に存続する期間)
壊劫(えこう)(衆生世間の破滅についで器世間も破滅する期間)
空劫(すべてが破滅し去って何一つない期間)
新しい世界が生まれる時期を「劫初」と言い 滅する時期を「劫末」と言い
この桜は 新しい命を得て再生したことから「劫初の桜」と名付けられた

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野田市駅から愛宕駅 [時空]

野田市駅~愛宕駅.jpg
野田市へは これまで4度訪ねた 野田の醤油産業が栄えたのは
徳川家康による利根川東遷で それまで東京湾に流れていた利根川を
江戸時代に少しずつ東へと流れを移し変える大工事が
約60年間に渡り行われ これを東遷(東へ移すこと)と言いう
と言っても掘り進んだわけではなく 湿地帯の流れをつなげ
銚子へと流れを変えたもので 佐原もその影響で栄えた街である
船便で一日で江戸に行けること また野田市駅の北側に在る
日光東往還での人の往来も 野田が繁栄する一因である
次は野田市駅の隣の愛宕駅から 醤油産業と文化遺産を探る

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醤油藩の城下町 [時空]

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ジャーナリストである大宅壮一(おおや そういち)は 野田のことを
「醤油藩の城下町」と呼んだが なるほど 上手いことをいう
戦災を無傷で免れた野田の町には 廻船問屋の上河岸戸邉五右衞門邸
下河岸桝田仁左衛門邸や 醤油で財をなした豪商たちの
江戸大名屋敷を彷彿とさせるお屋敷 名勝の髙梨兵左衛門邸や
茂木七左衛門邸 茂木佐平治邸 茂木七郎右衛門邸 茂木七郎治邸
茂木房五郎邸 山下平兵衛邸等の超巨大邸宅が 数多く現存し建ち並らぶ
見て来た邸宅も多数存在するが これからまだまだ凍傷するが
野田の醤油造りの歴史は ここから始まったのである
お醤油の香りする風こそ今はないが ほのかな香りが漂う街であったであろう

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南蔵 北蔵が並ぶ [時空]

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この建物は 茂木七左衛門邸の東側にある南蔵・北蔵と思われる
この辺りは 民家はほとんどなく 車の通りも少ないエリア
閑静で広い空間が広がる 風もスッキリと感じるのだが
目が行くのはこの二棟の蔵造りと 柿渋が塗られた黒板塀
都会で出逢うトキめきと 同じトキめき感が広がる
茂木家本家住宅は まだ使用されていて 内部を観ることは
出来ないが 野田市駅の南に位置するこの辺りは
江戸時代から この地で醤油醸造を営んで来た そして現在も
引き継がれいる醤油産業 その雰囲気を充分に味わうことが出来る

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琴平神社の社殿 [時空]

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鳥居の左側奥に少し見える 琴平神社の社殿
創建は寛政元年(1789)と古く 二代茂木七郎右衛門家が讃岐の
金刀比羅宮から分祠したもので 本殿・神楽殿・額殿(絵馬殿)
手水舎ともに 立川流の宮大工 佐藤庄助則久と里次則莊の建築
神楽殿も本殿と同様の屋根形式を持ち 擬宝珠(ぎぼし)高欄を
廻らして舞台とし 後方に控室を付けているという
毎月10日には 参拝可能な琴平神社 行ってみたい場所である

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研究所の西側に [時空]

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キッコーマン中央研究所の左手に在るこの門は
そうである 野田商誘銀行の脇を行った時に出逢った
茂木七郎右衛門家住宅正門 その裏側である
この門の右手 木々の覆う奥は 茂木七郎右衛門家住宅
邸内は 江戸時代後期から大正時代にかけての建物群が
良好に保たれ 主屋 書院 土蔵 門塀などが揃うほか
邸内神として祀られ 広く地域の信仰を集める琴平神社もある
現在も生活の場として使用されていて 内部見学は出来ないが
琴平神社は 一般参拝のために毎月10日に開門されているという

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野田の気ままに散歩 [時空]

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さて 野田市駅で下車しての気ままな散歩は 行き当たりばったりの
醤油醸造家 茂木佐平治家の旧宅と庭園であった 現在の
野田市民会館と野田市郷土博物館の訪問により 充実した
中身の濃い散歩となった この出会いを切っ掛けに これまで四度
野田市を訪問した 小さな街であるが この小さな街を
大きく支えた醤油醸造業 大都市・江戸への水運の利もあるが
1917年 野田の醤油醸造家一族が合同して設立したのが
「野田醤油株式会社」 各醸造家の秘伝の技と知恵を結集
その技術力と団結によって生まれたのが この野田市である
このベンガラ色の鮮やかな塀の野田市民会館を後にして
醤油の街 野田の散策は続く とりあえず野田市駅に戻る

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「天下一品」の四文字 [時空]

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郷土博物館に展示されている一部 フォト上は 天保15年(1844)
後に紹介する愛宕神社に奉納された「醤油醸造絵馬」 奉納者は
野田の醤油醸造家茂木勇右衛門家で 作者はわからないが
醤油蔵の内部風景と 明るい蔵働き人が杉板に直筆されている
フォト下はキッコーマン掛看板 野田の醤油造りは
江戸川と利根川に挟まれた水運に恵まれた地から生まれた
こいくち醤油は江戸市民に愛され また幕府の御用命や
「最上醤油」に指定されるなど 江戸の食文化を支え
そば・天ぷら・うなぎの蒲焼き・にぎりずしなどの
江戸料理が生まれたという そして“最高品質を届け続ける”
という誓いを込め 「天下一品」の四文字を添えるようになったという

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踏み石の向こう側に [時空]

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母屋の前方に在る この松の下に在る大きな石が
かつて書院から庭へと降りた踏み石であるという
書院は最上級の来客用の接待・宿泊に使用されたという
部屋は15畳が二間で 庭に面した廊下には畳が入っていた
雨戸は角を回り込み 全開となるように作られていたため
戸袋が陰に隠れ 何の邪魔もなく庭の景色を堪能することが
出来たという また専用の浴室には 当時としては珍しい洋式の
バスタブ シャワーがあったと 書院の建物は昭和28年頃
東京の団体に移築されたが 今でもその一部が
現役で使用されているという 残る踏み石の大きさから
書院の規模と豪華さが想像できる

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今はなき書院の名残 [時空]

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旧茂木佐平治邸の庭園 これがかつて存在した書院に
面していた庭園 大泉水だと思うのだが定かでは無い
とにかく手入れが行き届いていて 素晴らしい庭である
旧茂木佐平治邸とバランスが良くとれていて 整っている
「小春」は11月の季語だが 春が間近な暖かいこの日に
使用してみたくなる言葉が「小春日和」 そんな言葉が似合う
ピッタリする陽気と庭園である このような空間に
今日 巡り逢えるとは思っても居なかったので
お醤油の街のイメージとは かけ離れた風景
もっとも駅を降りるまで 醤油の街ということさえ
あまり思っていなかったのも事実である

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中庭の光を受けて弥生雛 [時空]

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雛人形を家に飾る習慣が定着したのは江戸時代に入ってからで
女の子の行事として成長と幸せを願い 家族や親戚みんなで
お祝いする現在の形になったという またひな祭りには
雛壇に人形とともに桃の花を飾るが その理由も中国発祥にあり
桃の花には魔除けの力があると信じられていいて 病気や災いを
遠ざけることから 縁起が良いものとして飾られたという
雛壇もさることながら 背景の明かり取りの装飾も趣がある
中庭の光を背にした 粋なお飾りと雛人形である

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街並み クレアモール [時空]

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この通りは川越一番街商店街 蔵造りの町並みを
南へと下って来て 西武新宿線の本川越駅の東側にある
クレアモールという商店街の総称で 川越駅東口から
本川越駅近くまで続く ほぼ真北に1,200mとなる商店街
「クレアモール」の名称の由来は Create(創造する)とMall(遊歩道)の
混成語だといい さらに北に続く大正浪漫夢通り 川越一番街
川越菓子屋横丁などとともに 日本のがんばる商店街
77選に選ばれていて 近年の日本の都市の中心市街地空洞化の中では
例外的に賑っている商店街であるという
川越一番街の蔵造りの街並みとは 全く違う雰囲気であるが
電柱が無く 本御影石の歩道 すっきりとした商店街である

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歴史が通過する瞬間 [時空]

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突然 目の前に現れた明治時代の光景である いや 大正時代か(?)
旧山崎邸別邸関係者の演出と思えるような光景だが
それとも 川越市の演出 あるいは昔の 出で立ちに着込んだ
観光客の一行なのか 今でも解らないのだが
日本家屋でのタイムゾーンに入った感じである
毎日散歩して 体を動かしていることへのプレゼントなのかも
知れないのだが 微妙である 偶然にしては‥‥である

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もうひとつの川越の空間 [時空]

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入口を入ると広い庭が続く 今までの蔵造りの街並みの
雰囲気が突然消えうせ 閑静な空間が広がるのを感じる
その静けさは 私の住む場所と同じように 音の無い世界である
旧山崎家別邸は 平成12年に主屋・茶室・腰掛待合が市指定有形文化財に
平成18年に 建物部分が市へ寄贈され 平成23年2月には
庭園が国登録記念物(名勝地)に登録されたという
また 令和元年9月に母屋が国重要文化財(建造物)に指定され
(茶室・腰掛待合は附指定) 旧山崎家別邸の庭園は
和館・洋館の建築とともに 保岡勝也が設計した茶室を含む
和風庭園の事例として価値があると認められ
「造園文化の発展に寄与しているもの」として高く評価されている

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接点を繋ぐリンゴたち [時空]

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信州から贈られて来たリンゴである 信州リンゴ
青春時代に残して来た信州リンゴとの思いで
その頃のことは ほとんど思い出なってしまったが
このリンゴだけは代々受け継がれ 私が知るだけでも
三代目が初めて生産したリンゴであり 感慨が深い
昨年の猛暑の中で育った 数少ないリンゴが届くことが
まだ信州と 熱い絆で繋がっている その証である
同じ時代に ほんの僅かな時間だが 共に過ごした
そこから育った絆であり 巡り合の原点の場所である

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鳴り響く「開運の鐘」 [時空]

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南蔵院の鐘楼である この梵鐘は昭和五十年に鐘楼堂が建立されたおり
比叡山延暦寺の開運の鐘の鐘霊を奉載して 開運の鐘と
名付けられたという この鐘は誠心を込めて開運の鐘を撞けば
清らかな鐘の音に心が洗われて 幸運が訪れるようにとの
願いが込められ 大晦日には除夜の鐘として 荘厳で清らかな音を
響かせるというが 元旦の日中でも 水元公園辺りに
鳴り響くことがある 除夜の鐘 そしてお正月と
身が清まり 引き締まる瞬間の響きである

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元旦にしばられ地蔵に [時空]

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本堂の左隣に在る地蔵堂は しばられ地蔵尊が安置され
昨日 縛られた縄解き供養を行い 今日はと思っていたら
もう首まですっぽりと縄で縛られ ご利益を与えている
お地蔵を縛る縄は 1mくらいの長さで1本100円
エッ これもう何本くらいまかれているのだろうと
取らぬ縄解きの皮算用である エッ 皮算用の皮
皮算用とは「とらぬ狸(たぬき)の皮算用」の略で
狸を捕らえる前に、皮を売ればいくらもうかると計算し
その金をあてにするという  不確かなもうけ話を
自分につごうよく考え あれこれ先走ることのたとえ
なるほど しばられ地蔵の ご利益算用であった

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2024年「笑門来福」 [時空]

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2024年 明けましておめでとうございます
新しい年の 「もう一つの時間」がスタートする
今年も「もうひとつの時間」 よろしくお願いいたします
振り返れば ブログを始めたのはテニス仲間の一言
勤めていた会社が倒産し 再就職の間に始めたフォト散歩
初めは暇つぶしであったが 「ブログを始めたら」
でスタートしたのが 2010年5月30日
そうか 今年の6月で もう14年にもなる
初めのフォトは「カルガモ親子」だったと思うが
2023年が終了して 記事数:8,715まで膨らんだ
驚きであるが これが巡り合いで 全てのことが
そこから始まるのに他ならない

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「しばられ地蔵尊」 [時空]

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石畳の参道を行くと 正面に安置されるのが この「しばられ地蔵尊」
参拝者の願いを お地蔵さんに荒縄で縛ることで
願いを叶えてくれるお地蔵さんで 一年中荒縄で縛られている
しばられ地蔵の由来は 徳川八代将軍吉宗の享保年間
(1716~1735)に遡る ある夏の昼下がり お江戸日本橋の
木綿大問屋の手代が 荷車に反物を満載して運んでいたところ
一休みのつもりで腰を下ろした 南蔵院の前でつい居眠りをしてしまう
目が覚めると なんと荷車ごと反物がない 手代はこの一大事を
時の名奉行 大岡の殿様に訴え出たが 大岡様は
「見逃した地蔵も同罪である」としてぐるぐるの縄でしばりお地蔵様を
裁きの場へと運ばせたのである エッ それで「しばられ地蔵」
いや それではとても風変わりなお地蔵さんで終わってしまう

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南蔵院 結びだるま市 [時空]

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南蔵院の結びだるま市は 「しばられ地蔵」に由来し
厄除けから縁結びまで あらゆる願い事を結ぶ開運の
縁起もの「結びだるま」で 日本では年内最後の そして年明け
日本一早く始まる「だるま市」で 大晦日と元旦の二日間
江戸情緒あふれる「結びだるま市」を開催している
だるま市は 正式には「厄除元(やくよけがん)三大師大祭」といい
比叡山中興の祖「慈恵大師」の遺徳をたたえる縁日として
江戸中期頃に始まったといわれている
「日本三大だるま市」は「深大寺のだるま市」 「高崎だるま市」
そして静岡県富士市の「毘沙門天大祭だるま市」である

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ゆっくりと静かに過ぎる [時空]

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こちらもスカイツリー内のクリスマスツリー
クリスマスツリーと言うよりは 装飾性の高い展示品のイメージ
年賀状書きを終え クリスマスが過ぎると
以前は ここからが師走というイメージで 緊張感
と言うよりも 新年を迎える準備があったが
今はクリスマスもお正月も 通過点に過ぎない
社会人の時は それぞれにイベントや集いが在ったが
今は生活のなかでの刺激的とは言わないが それに近いもの
つまりテニスやゴルフ 仲間との集まりが
主流になる毎日で 通過点に外ならないのである
新年が明ければ また違う感情が生まれるのかは別にしても
時はただ静かに流れて行く そんな日々である
 
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学友仲間との再会 [時空]

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東京スカイツリーに飾られたクリスマスツリーである
今年はコロナ感染が一区切りついて 学友とのランチで
ソラマチに何度か出掛けた その時のフォトである
学友は小学校 中学校 高校とよく会い 時にはゴルフなど
一緒にプレイするが 何時ものゴルフとは違い
和気あいあいで プレイを愉しむ なかには
卒業して以来という仲間もいるが 会話はスムーズで
久しぶり感が無いのが学友仲間である
いずれも仕事を卒業して 熱く語ることは
また そのように感じることも無い

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スポット 菓子屋横丁 [時空]

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さて 札ノ辻の西側の寺社を巡って来た
蔵造りの街並みの一番北に在る札ノ辻 この交差点の
西側(左側)に在るのが 色とりどりのガラスが散りばめられた
石畳の道に 約30軒程度の菓子屋などがひしめく川越の
有名なスポット「菓子屋横丁」である 川越にこのような
場所があることなど知らなかったが そのエリアへと入って行く
さてこの菓子屋横丁だが 江戸時代にこの南西側に在る
養寿院の門前で江戸時代に数人の菓子職人が集まり
「江戸っ子好みの気取らない駄菓子」を製造したことがきっかけに
明治の始めからのれん分けによって横丁を形成したという

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大蓮寺 本堂 扁額 [時空]

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大導寺駿河守政繁の母 蓮馨尼が帰依した 感譽上人は学徳高く
信徒3000人弟子600人 多くの高僧を育て その中には徳川家康公が
深く帰依した存応上人(観智国師)がいる 開創は9ヶ寺ある
観智国師は増上寺の形成に貢献した高僧である
大蓮寺は その後延宝年間(1673~1680) 七世超譽上人代に火災にあい
本堂 古記を焼失 大蓮寺に信仰のあった川越城主
酒井河内守の支援により 同年間再建した 現在の本堂は
万延元年(1860)再々建 客殿は平成7年(1998)新築された

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伝説の光る川と人形流し [時空]

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川越氷川神社 小川である 境内地下には水脈があり
その御神水が流れる小川で この川に「人形(ひとがた)」とよばれる
和紙を流して 心身の穢れを祓う「人形流し」が行える
人形に三度息を吹きかけて 体に人形を撫で付けると
穢れが人形に移ると言われ
このしめ縄の下を通るように 浮かべ流すのがポイントであるという
川越氷川神社の由緒を記した古い文書には「光る川の伝説」が残り
今からおよそ千五百年前 入間川の川底が毎夜広い範囲で光り
不思議に思った人々が光の元を辿ったところ
現在川越氷川神社が鎮座している場所に着いたという
土地の長が身を清めてお告げを伺うと その光が氷川の神様の
霊光であると告げられたため ここに氷川神社が建てられたという
縁むすび風鈴の期間中 19時~21時 この小川に光を灯される

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