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25枚の花鳥の大彫刻 [ブラボー]

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本社を取り囲む回廊(廻廊)は 陽明門と同様に寛永の造営
寛永13年(1636年)に建立されたもので
正保3年(1646)の地震で 本殿裏の石垣が崩れかかり
従来の石垣の前面に新たな石垣を築くため 取り除かれていて
現状では北側が欠落したコの字状で 内部は朱漆塗りの
華麗な廊下になっている この廊下は有名な眠り猫のある
坂下門で左右を眺めれば 確認できるという
蟇股(かえるまた)の彫刻は 奥宮の入口に配された眠り猫ほか
霊獣・動物・花・鳥・果物など267体もあるという
回廊南面には 日本最大級の花鳥の大彫刻25枚が飾られ
すべて一枚板の透かし彫りには 極彩色が施されている

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日光東照宮・東西回廊 [ビューティフル]

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日光東照宮の陽明門の東西に伸び 神域を守る全長
220mの廊下が回廊 陽明門の東側の東回廊 西側の
西回廊が対称的に備わり 見事な彫刻が施されている
屋根の下の長押(なげし)の上の部分に雲 胴羽目(どうはめ)の
部分には花鳥と動物 腰羽目(こしはめ)部分には水鳥と
天・地・水に因んだものが描かれている
東照宮の彫刻の中で 最も数の多いものが牡丹だが
回廊にも牡丹が多く配されているという
回廊に施された彫刻には 国家安寧(こっかあんねい)
つまりは平和への願いが込められいる

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陽明門 左右の廻廊 [ビューティフル]

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22段の石段を登った境内 その先には
陽明門へと続く もうひとつの石の階段があり
陽明門のなかの その境内を取り囲むように延びる廻廊と
その前に並ぶ石灯篭である 廻廊の外壁には
我が国最大級の花鳥の彫刻が飾られていて いずれも
一枚板の透かし彫りには 極彩色がほどこされているのである
東照宮東西回廊は陽明門の袖堀の左右にあり延長223m
南側は計25枚の大彫刻で飾られ  内側は円柱を建てた吹き抜け
二十四間の胴羽目の彫刻は 一枚板の透かし彫りと花鳥
動物の意匠の下絵は狩野理右衛門 と伝えられている
回廊には燭台が設置され オランダ製で総朱塗りとなっている

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鐘楼・鼓楼の彫刻 [ビューティフル]

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鐘楼と鼓楼の彫刻についてつけ足しておく
高さ約12mとぼぼ同規模である鐘楼と鼓楼だが
右側(東側)の鐘楼には鶴・竜・飛竜・麒麟(きりん)・波など
合計78体の装飾が施されているが 左側(西側)の鼓楼には
亀・竜・雲など 38体が飾られるのみだという
装飾自体は鐘楼の方が豪華になっていて 何故か鼓楼には
鳥類の彫刻が一つもないという
鐘楼・鼓楼は寛永12年(1635)に建てられている
桁行3間 梁間3間 入母屋 銅瓦葺き 袴腰付き
全体的に黒と金を基調として高欄を朱色 組物 彫刻を極彩色で
彩った華麗な造りで配置的には古い寺院形式にならって建てられた
さて一見同じ様に見える鐘楼と鼓楼だが このフォトは・・・・

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蓮灯籠(オランダ灯籠) [な~るほど]

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こちらは寛永17年(1640年) 3代将軍・徳川家光に
献上された日本では見かけない 異国情緒が漂う
鐘楼の脇にあるスタンド型の灯籠 蓮灯籠(オランダ灯籠)である
寛永14年(1637)に島原の乱が勃発し オランダが
幕府に武器弾薬を援助し その後ポルトガルとの貿易を途絶
オランダに対しても寛永18年(1641)に平戸から出島へと
商館を移させるとい う鎖国体制の完成する時期に
徳川家光に献上されたもの 慶長14年(1609)に徳川家康が与えた
オランダ商船への朱印状も 徳川家光によって反故(ほご)にされた
歴史の中で献上され 東照宮に残る3基の灯籠である

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シャンデリア型灯籠 [ブラボー]

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こちらがその鼓楼付近の回転燈籠の奥にある 釣燈籠である
オランダ王国が オランダ商館を通じて
寛永13年(1636) 3代将軍・徳川家光に献上した
3基のうちで 最初に献上された欧風のシャンデリア型灯籠
附(つけたり)・銅燈籠として国の重要文化財に指定
3基めの先の廻転燈籠は 和風の要素も漂わせているが
こちらのイメージは洋風そのままである
献上した時はオランダ商館が 平戸にあった時代で
オランダ人の日光参詣は認められていなかった

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「逆紋の廻り灯籠」 [な~るほど]

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オランダ東インド会社から奉納された八角形の
大きな回り燈籠 ご覧のように三つ葉葵の紋が逆で
「逆紋の回り灯籠」と呼ばれている
廻転灯籠はオランダ本国で造られ
設計:ヨハネス・ルトマ
制作:ヨーストヘリッツゾーン)
オランダ国王の名で奉納され 外交上
将軍家も この「逆紋の廻り灯籠」を許したと伝わる
上部は 銅鳥居に飾られていた「葵の御紋」である

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八角形の回り灯籠 [ビューティフル]

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こちらは鼓楼近くにある廻転灯籠 寛永20年(1643)
オランダ国 オランダ商館から奉納されたもの
オランダ商館は 慶長14年(1609年) オランダ国との正式国交が
開けた時に平戸に設置され その後閉鎖 そして再開したが
寛永17年(1640) 長崎・出島への移転を余儀なくされた
廻転灯籠が奉納されたのは そんな政治情勢の背景での
将軍家光が力を入れていた日光東照宮への寄進であったが
灯籠上部に取り付けられた葵の紋が上下逆さであり
別名「逆紋の廻り灯籠」と称されている
附(つけたり)・銅燈籠として 国の重要文化財に指定

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回転燈籠と釣燈籠 [めぐり逢い]

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境内は 左側が太鼓を置く鼓楼 右側が鐘を吊るす鐘楼
その鼓楼付近に在るのが この傘をかぶった二つの灯籠
オランダから贈られた回転燈籠(手前)と
奥にあるのが釣燈籠である また鐘楼の近くには
オランダから献上されたと伝わる蓮燈籠(はすどうろう)と
朝鮮から奉納されたという朝鮮鐘があり いずれも当時の
各国との友好親善の象徴となっているものである

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陽明門 西側の鼓楼 [めぐり逢い]

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こちらは西側の鼓楼である
鐘楼と太鼓を収蔵する鼓楼 櫓造の2棟の建物で
どちらも寛永の大造替の時に建てられた
江戸時代には 祭の始めに太鼓を
そして終了時には 鐘を打っていたという
左右対称のシンメトリー様式の櫓造の2棟
ぼぼ同規模で 高さ約12mあるという

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陽明門 東側の鐘楼 [めぐり逢い]

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石段を登ると 前方には陽明門への階段が在る
陽明門の前にに 対称的に配置されているのが鐘楼と鼓楼
そして東側に在るのが鐘楼である 明治初年の
神仏分離以前の神仏習合時代の名残で その名の通り
銅鐘を収蔵している 3間四方の方形で入母屋風銅瓦葺き
基部は末広がりになった袴腰(はかまごし)になっていて
寛永の大造営の時に建立されたもの
構造的には対称的な2棟だが 細部の飾り付けは
彫刻の種類や数に違いがあるというが 不明である

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陽明門へと続く石段 [めぐり逢い]

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唐銅鳥居(二の鳥居)奥に在るのが 陽明門へと登る石段である
22段あるこの石段を登ると 陽明門へと登る
石段のある境内へと続く 日光東照宮陽明門を
見上げる場所である 東照宮は50年振りというか
小学校六年の林間学校で訪れた以来であり
もちろん東照宮の記憶は語り残っているが
他の建物のことは 三猿と眠り猫くらいしか記憶になく
新鮮な場所である そういう意味では日光は
気軽に来れるイメージの場所ではないのかも知れない
見覚えのある陽明門の姿が見える
気持ちはおのずと高ぶって行くのが解る

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葵の御紋と蓮弁付き [めぐり逢い]

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陽明門への石段基部に立つ この唐銅鳥居(二の鳥居)は
一の鳥居が石鳥居であるのに対し 二の鳥居は銅製で
寛永13年(1636年) 3代将軍・徳川家光による寛永の大造営の際に
建立されたもので 扁額部分には葵の紋が飾られている
また この鳥居の基部には蓮弁(ハスの花弁)が刻まれていて
神仏習合時代の寺には鳥居も造立され
附(つけたし)の鳥居として 国の重要文化財になっている

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唐銅鳥居(二の鳥居) [な~るほど]

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さて 日光東照宮・陽明門へと登る石段の下に在るのが
神域などの入口を意味する鳥居 この唐銅鳥居(二の鳥居)から
陽明門 唐門 拝殿 本殿は南北に一直線に並んでいるが
家康の墓所や奥宮拝殿は少し左にずれているという
江戸の北方に位置する日光に祀るようにという家康の遺言には
妙見信仰(北極星または北斗七星を神格化した 尊星王 北辰菩薩
北辰尊星妙見菩薩に対する信仰) があったともいわれ
妙見信仰(妙見菩薩)の根本は北極星であることを考慮すると
参道が鋭角に曲がり 北側の拝殿・本殿への玄関口となる
二の鳥居の存在は重要なものになるという

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伊達政宗 「南蛮鉄灯籠」 [ブラボー]

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陽明門へと向かう最後の石段の下
向かって右側にあるのがこの鉄製の燈籠
日光東照宮で最も有名な燈籠の一つが これである
東照宮の中には大名たちが競って奉納した灯籠が
至る所にあるが これは伊達政宗公の奉納した
「南蛮鉄灯籠」で ポルトガルから鉄を運んで作ったもの
東照宮で見られる灯籠のなかでは
シンプルで大変珍しい このように今は茶色に錆びている
当時 ここに多くの大名が参詣に訪れた時
この灯籠を観て どう感じたのかは解らないが
私は参詣の時は気付かずに 終えての帰りに気付いたのである

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御水屋 欄間部分 [な~るほど]

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往時には日光山の社坊が並んでいた滝尾神社近くから
サイフォンの原理 つまり
水場地点より 高い地の尾根を越えて
水道管を敷設して 水を供給していたという
水による腐食を考慮し 四隅に3本ずつ
合計12本の柱も花崗岩(白御影石)製である
この御水屋の波彫刻欄間部分から
光が漏れ入るという優雅な設計であり
屋根下の唐破風の妻には 水の守りという飛龍
(ひりゅう=翼つばさのある龍)が彫刻され
また 水に関係のある鯉こいも泳いでいるという

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日光東照宮 御水屋  [めぐり逢い]

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日光東照宮 境内に在る御水屋(おみずや)
東照宮(神社)にお参りする前に手を洗い
口をすすぎ 心身を清める為の建物であるが コロナ過で
使用禁止である 御水舎自体は寛永13年(1636)の築
花崗岩の水盤は 元和4年(1618)九州佐賀藩主鍋島勝茂公により
徳川家康の三回忌で奉納されたものである
神社の境内に 専用の御水舎を設置したのは
東照宮が初といわれている

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日光東照宮・輪蔵(経蔵) [な~るほど]

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これは日光東照宮・陽明門へ上る石段下に在る輪蔵(経蔵)
元和6年(1620)築の方形造の建物で経典を収納しておくための蔵
経蔵の内部には 八角形をした回転式の輪蔵が設置されているが
内部は非公開である この建物は2階建てに見えるが
下の屋根は庇状構造の裳階(もこし)といい
寺院建築で建物外部の軒下に回した庇(ひさし)である
明治初年の神仏分離までの名残の建物で 輪王寺の管理下にあり
一切経(大蔵経)1456部・6325巻がこの経蔵に収められていた
輪蔵は中国南北朝時代の伝大士(傳大士=ふだいし)が
発明したもので 八角型の回転式書架である転輪蔵
(てんりんぞう)を一回転させると 収蔵する一切経(大蔵経)を
すべて唱えたことと 同じ功徳があるとされていた

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もと内番所は社務所へ [な~るほど]

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「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻のある神厩舎
その隣にあるのは 今はお札やお守りを授与している社務所と
なっているが 江戸時代は日光奉行が支配する番所で
昼夜を問わず 警備の侍が常駐していた場所で
日光奉行が管理をしていた日光東照宮の「内番所」である
その前には 陽明門へと通ずる鳥居(二ノ鳥居)
日本ではじめて造られた青銅製の鳥居で
高さ約6mで金200両の大金が費やされたと云われている

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「励まし合う猿」の彫刻 [めぐり逢い]

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長押(なげし)上の猿の彫刻は8面に描かれ
人間の一生が風刺しているこの猿の彫刻
フォト上はそのひとつ「励まし合う猿」で
左端の猿は背中に手を当てて慰める あるいは励ます姿
右の猿は正面を凝視していて この後 結婚へと繋がるという
フォト下は「上を見上げる猿」で 希望を胸に上を見上げる青年の猿
雲は青年の志を表し 家康の遺訓「上を見な 身の程を知れ」
(上を見るな 身の程をわきまえろという意味を五字七字で表現)
という戒めを表していると言われている

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親子の猿 遠方を眺める母猿 [めぐり逢い]

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長押(なげし)上の猿の彫刻は8面に描かれ
人間の一生が風刺しているこの猿の彫刻
フォト上は「親子の猿 遠方を眺める母猿」で
遠方を見るのは 空間としての遠方ではなく 時間としての遠方
(子供の将来) 母親が子供の未来を望む姿で
ビワと朱色の雲は バラ色で実り豊かな将来を暗示しているといい
フォト下は「孤独に耐える一匹の猿」で 孤独に耐えながら
これからの自分の将来を考える一匹の猿で
いよいよ自立する時が訪れることを描いていると
この厩内にある青銅製の飼葉桶には 葵の紋が付いているという

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見ざる・言わざる・聞かざる [めぐり逢い]

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日光東照宮で 有名な「三猿」の彫刻
その彫刻が神厩舎 つまり神馬(しんめ)をつなぐ厩(うまや)に飾られていること
そして猿は馬の病を治したり  馬の世話をすることにより
飾られていたなど 今回訪ねてみなければ解らないことで
また長押には猿の彫刻が8面あり 人間の一生が風刺され
彫刻として飾られている その一枚が有名な
「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿であった
御神馬は 東照宮とは別の場所に在る下御厩(しものおうまや)で
飼育され 東照宮境内に移されてこのに上御厩(かみのおうまや)に
繋がれたという 幕府は祝い事の度に神馬を奉納し
常時3頭ほどが飼育されていたという
厩舎の内部には 現在でも白馬が10:00〜14:00の間
繋がれているというが この時は確認できなかった

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日光東照宮「三猿」 [ブラボー]

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神厩舎に この「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻が
飾られているのは 古来より猿は 馬の病を治したり
馬の世話をするとされているところから 長押(なげし)上に
猿の彫刻8面が描かれ 人間の一生が風刺され
特に有名なのが この「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿なのだという
「三猿」は 幼少期には周囲の影響を受けやすいので
世の悪事は見聞きさせず 悪い言葉を使わせず
良いものだけを与えよという戒めである

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神厩舎 神馬の厩 [な~るほど]

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表門(仁王門)をくぐると 前方と右手に建つのが三神庫で
左手にはこの神厩舎(しんきゅうしゃ)がある
神厩舎とは神馬(しんめ)をつなぐ厩(うまや)で
御神馬とは 祭神が乗る馬のことで 東照宮の初代の御神馬は
徳川家康が関が原の戦いで乗ったとされる名馬だったといい
元和3年(1617)から亡くなる寛永7年(1630)まで御神馬として奉仕
日光史跡探勝路途中の滝尾道に「神馬の碑」が立っていると
神厩舎の建物は 日光東照宮の社殿では唯一の素木造りで
当時の武家の殿舎に用いられた厩(馬屋)の形式で
現存する唯一の大型の神厩建築遺構であるという

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狩野探幽 「想像の象」 [ブラボー]

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これが上神庫の妻に描かれている狩野探幽が下絵を描いた「想像の象」であり
想像の象は 「眠り猫」「三猿」と並び 日光東照宮の三大彫刻の一つ
上神庫の前に建つ神厩舎(しんきゅうしゃ)の彫刻
「三猿」が有名で 見過ごしてしまう 私もその一人であったが
フォトは撮ってあったのであるが 彫刻した人は
その下絵を観ながら彫ったのである
徳川家康が眠る日光東照宮 その家康には
交趾(ベトナム)からゾウが贈られ 家康は象を観ているらしいが
なんとも不思議な象の姿である

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上神庫 「想像の象」 [めぐり逢い]

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仁王門を入り正面に在る三神庫 その一番左側に在るのが
この上神庫 上神庫は重要な神宝を収蔵する倉で 
「御宝蔵」(ごほうぞう)とも呼ばれている
上神庫の南側(神厩舎側=このフォト面)の妻には
象が2頭彫刻されている 江戸の人が初めて象を見たのは
享保14年⁽1729) 享保13年(1728)に中国の商人から
将軍へ献上する象が船で長崎に到着 その後 京で中御門天皇に拝謁し
箱根峠を越えて はるばる江戸までやってきた時である
上神庫の象の下絵は狩野探幽(たんゆう)が描いているが
象を見たことがないため 「想像の象」と呼ばれている

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三神庫 正面の中神庫 [な~るほど]

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正面にあるのがこの中神庫(なかじんこ) そして
右手に下神庫(しもじんこ) 左手に上神庫(かみじんこ)
上神庫・中神庫・下神庫を総称して三神庫と言い
この中には春秋渡御祭(神輿渡御祭)「百物揃千人武者行列」
で使用される 馬具や装束類が収められている
「百物揃千人武者行列(ひゃくものぞろいせんにんむしゃぎょうれつ)」とは
徳川家康の柩(ひつぎ)が 久能山から日光に移された時の行列を
そのまま再現したといわれる一大絵巻で この行列は神輿を中心に
鎧武者など53種類1,200余名のご奉仕により 神社の祭礼で
祭神が巡幸するとき 仮に神輿みこしを鎮座しておく
御旅所(おたびしょ)へ向かうのだという

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三神庫 下神庫と西浄 [めぐり逢い]

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表門(仁王門)をくぐると 最初に見るのが三神庫で
右手に在るのがそのひとつ 下神庫(しもじんこ=フォト上)である
神庫とは祭礼に使う祭具を入れる倉で 3軒ある
外部は通気性を確保することから 奈良・正倉院の
校倉造(あぜくらづくり)を模している
三神庫(下神庫・中神庫・上神庫)の下神庫・中神庫に挟まって建つ
建物(フォト下中央)が在り 西浄(さいじょう)と呼ばれる
東照宮の建物の中でただ一つ 何の彫刻もない建物で
実はこれ 神様の使う厠(かわや=トイレ)で 内部(非公開)には
漆塗9つの便器が配されているが 誰も使ったことがないという

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二天門 戸口上部の獏 [な~るほど]

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表門(仁王門)の戸口上部に飾られているのは獏
獏とは(ばく=熊の体・象の鼻・犀の目・牛の尾・虎の脚)の
木鼻が配されているのは 門を潜る人の邪気を祓うため
さらに獏は鉄や銅を食料にするという幻獣なので
それを材料とする武器を 必要としない平和の象徴として
配されているという 表門には漠をはじめ
唐獅子・象・牡丹など66の彫刻が施されているという

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仁王門 唐獅子の像 [めぐり逢い]

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仁王門の入った反対側に安置されているのが
この唐獅子の像である 唐獅子はライオンを基に
形象化された中国伝来の獅子で 表門の仁王像 唐獅子ともに
右側に阿形(あぎょう) 左側に吽形(うんぎょう)の
阿吽(あうん)の配置となっている ちなみに東照宮の彫刻は
龍が一番多く 次いで唐獅子 獏の順となっているという
徳川家光時代(寛永の大造営)の貴重な建築物のひとつである

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