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ツツジとサツキの違い [な~るほど]

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ブログは何処へ出かけようか 思案中であるが
明日から新緑の五月ということもあり 季節の花を巡る
と言っても今年は季節の序列を感じさせない花の咲き方であるが
これはサツキである と断言が出来ない形での登場である
何と区別がつかないのか それはツツジである
私の感覚では 花の大きさがツツジのが大きく
色も艶っぽいのがサツキであると認識しているのだが
調べてみると サツキは雄しべが5本 ツツジは5本以上
この花は拡大してみると雄しべが5本 サツキで間違いはない

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連休の初日は山歩き [気ままに散歩]

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さて大型連休へと入った 初日の29日は久々の
山歩きのお誘いを受け 清々しい新緑のなかを歩いてきた
テニスをプレイした翌日で "どうかな"の不安はあったが
坂道を登るのは 下半身強化につながり
また是非行きたいと思っている次第である
それだからではないが 連休は混むし 休養に充て
静かな一週間をすご過予定である

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普段の生活は何処へ [余談]

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2023年 4月も終わろうとしている
例年ならば 5月の連休を絡めて 信州へと出掛ける
そんなゴールデンウィークの始まりであるが
どうもコロナ過の影響なのか それとも毎日が祝日
そんな生活からなのか 出掛ける気分は委縮している
コロナさえ これで収束というよりは感染減少傾向と
思えたが また少しづつではあるが広がる気配である
変則気候とコロナ感染 目に見えない相手に翻弄されている

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皐月の空より早く [時節]

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四月の終わりが見え始める前に 咲き出したのはこの花
カキツバタである 季節の花の巡りは同じであるが
早咲きは 今年の時節通りである
「いづれあやめかかきつばた」という慣用句が
毎年 この花とともに咲き出すのが 日本の文化で
それだけ季節の変化が 身近に感じられる環境で
四季の変化を 花の容姿や色どりで感じて来た
水辺に咲くカキツバタ イメージは皐月の空と
爽やかな光と重なり この花とともに初夏は進んで行く

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ブレる時節のなかで [余談]

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例年は連休の前後に満開になる躑躅も 今年はもう満開である
季節はどうなっているのかと思うよりも 季節に順応して
咲く時期を早める植物は 順応していて
体調を崩してしまう あるいは暦を基準にしていて
思考と体のバランスが順応して 自然に対応する力が
薄れてきているのかも知れないと思うくらい
最近の気候の変化は異常であり 昔はこんなことを思いつく
そんなことのない 長閑な時代であったと思うが
今の若い人たちには 当たり前のことであり
順応できないのは 我々の世代だけかも知れない

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2023年春を終える [時節]

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このところの寒暖差の大きい日々に 体調を崩す
そのような人が増えているという
私は 体調さえ崩していないものの
暖かいというより 暑さを感じる日は
まだ暑さに不慣れで 室内にいることが多くなり
居眠りをする回数も増えてきたような気がする
世間では4月バテなどという声も聞こえてくる
雨や風の強い日も多く そんな日は散歩もせずに
まる一日 退屈な時間を過ごす そんな状況が増えた
五月の爽やかな 安定した気候を望むものである

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躑躅の花が廻りだす [時節]

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早く咲いた桜を感じる四月も もう過ぎようとしている
巷には 五月を感じさせる花たちが咲き出していて
花たちの咲く前倒しは 以前と変わらないところであるが
このところ気候は 寒暖の差が激しく
体調管理は大変であるが 色彩の初夏は進んで行く
皐月の向こうの 今年の梅雨は早く来るのであろうか
季節の移ろいを愉しんでいるこの頃である

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日光東照宮を終える [気ままに散歩]

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日光東照宮 奥宮から陽明門まで降りて来た
随分と長い間 日光東照宮・輪王寺・二荒山神社を巡って来た
ただ 掲載したフォトの他にも まだ見落とした個所が
大分あり また近いうちにまた行こうと思っている
日光は北千住から二時間弱 今は車よりも時間が読める
そのように時を愉しんでいる
次回は何処へ向かおう 今 検討中である

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日光東照宮 社殿群 [ビューティフル]

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日光東照宮 奥宮 家康公の墓所を拝観して
日光東照宮 奥宮を下山する途中よりの社殿である
社殿のほとんどが 鎮座して20年後の寛永13年(1636)に
建て替えられ 陽明門など55棟 その費用 金56万8千両
銀百貫匁 米千石を要し ご造営の総責任者には秋元但馬守泰朝
造営の総責任者には秋元但馬守泰朝 工事や大工の総責任者には
大棟梁甲良豊後宗広があたり 僅か1年5ヶ月の工期で完成した
境内の特徴は 自然の地形を生かした参道や階段を用い
バランス良く配置された社殿群が 荘厳な宗教的空間を
創りだしていて さらに建物には漆や極彩色が施され
柱などには数多くの彫刻が飾られているが これらは単なる
デザインではなく 信仰形態や学問・思想が表され
時代の最先端 文化・技術などを伝えているという

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時の重さに包まれる [めぐり逢い]

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奥宮宝塔を囲む玉垣の脇に立つ この杉は「叶杉」と呼ばれ
「諸々の願い事をこの杉のほこらに向かって唱えると
願い事が叶うと伝えられている」 家康公の墓所の
直ぐ隣に立つこの杉は樹齢600年 家康公が眠る以前より
ここに存在するが 家康公のパワーにより成長しているようである
日光東照宮の奥宮のパワースポット 不思議な力を感じる
時の重さと霊感を感じるような場所と思えるのである

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鋳抜門越の奥社宝塔 [時空]

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鋳抜門側から奥宮宝塔を望む 日光は江戸から見ると
真北に位置し 日光東照宮陽明門の中央真上に北極星が輝く
東照宮を拝礼すると 北を向いて拝礼することに
すなわち 宇宙の最高神と考えられた北極星を拝礼する
徳川家康は己を日光に祀ることで 北極星として君臨し
世の中が平和であることを願っている
陽明門は「北辰門(ほくしんもん)」とも言われ
真北の「北極星(=北辰)」は宇宙の中心と考えられ 南には江戸
江戸から陽明門を通り北へと続く道は 北天にある不動の星
「北辰」へ通じる道を指し示し 陰陽道の重要な構図となっている

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高さ約5mの唐銅製 [ブラボー]

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奥社宝塔は元和8年(1622)創建され 当初は木造であったと
寛永18年(1641)に石造に改められたが
天和3年(1683)の地震で倒壊 その後 江戸の著名な鋳物師 椎名良寛制作の
現在の唐銅製(金・銀・銅の合金)である
その奥社宝塔は•塔高(高さ):約5m 宝塔の下には8角形で
9段の石が積まれて基檀とし その上に宝塔が建てられている
この宝塔の下で家康公は永眠され 家康公の遺骨があるとされるが
創建以来 誰も確認されたことは無く 現在も
家康公の遺骨が実在するのかは不明とされているが
家康公の遺骨は「神柩(しんきゅう)」と呼称される柩の中に
収められていると伝えられる

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日光東照宮・奥宮宝塔 [ブラボー]

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奥社とは別名 奥宮と呼ばれ 神社境内においては
本社よりも奥に在る神社のことを言う
日光二荒山神社を例にとれば 山裾にある神社(本社)に対し
山頂にある「太郎山神社・滝尾神社・二荒山神社」を奥社
もしくは奥宮と呼んでいるのと同じである
この場所は 昭和40年(1965)に行われた東照宮350年大祭を
記念して一般に公開されてから まだ僅か58年である

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唐銅製の宝塔 [時空]

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これが鋳抜門の奥の広々としたスペースの中央に
家康公の遺骨が眠るとされる場所の上に立つ奥宮宝塔
通常は 一般参拝者が鋳抜門の間近まで行って見ることは出来ず
奥宮宝塔を囲む玉垣を巡り 拝観出来るようになっている
どっしりと 日光東照宮の最奥の 杉林に囲まれた
そんな中に建つこの唐銅製の宝塔
不思議なパワー空間へと導かれている そんな思いである

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鎖国時に朝鮮通信使 [な~るほど]

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朝鮮通信使が運び 朝鮮国王から贈られた三具足
徳川幕府は鎖国政策を取っていたが ほぼ唯一の例外として
招いていたのが朝鮮王朝から外交使節である
朝鮮通信使は江戸時代の初期に3回 日光を訪れているという
1回目は東照宮が 出来上がって間もない1636年
2回目が1643年 3回目は1655年のこと
徳川幕府成立直後の1607年から1811年にかけて
10~20年に1回程度 将軍が交代する時などに訪れた
鎖国下のなかで 朝鮮王朝の優れた書や絵画 また珍しい
踊りや曲芸に 鎖国下の日本の人々は熱狂したという
「韓流ブーム」は江戸時代に その起源があったのであり
これは以外なことであった

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御宝塔前の鶴の燭台 [ブラボー]

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徳川家康のその墓所のある日光東照宮・奥社
その御宝塔の前に在る鶴の燭台 唐獅子の香炉 そして
花瓶が配されるという豪華なものでその下の石敷きには
当時の技術の粋が集められている
手前の鶴は朝鮮国王から贈られた三具足(燭台・香炉・花瓶)
この三具足は文化9年(1813)の火災により焼失し
日本で造り直されたものである

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「鋳抜門} 鋳抜とは [な~るほど]

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奥宮宝塔側からの鋳抜門である
「鋳抜門(いぬきもん)」の「鋳抜」とは 鋳型による製造工程の
技法のことで 鋳型に溶かした金属を型に流し込んで
冷めて固まった金属を取り出す際に 鋳型後部の穴から棒状のもので
突いて鋳型を取り出すことから「鋳抜」と言われる
鋳抜門の基礎となる扉部分以外の 屋根・柱・梁・桟などの
部分は「鋳抜」の工法で製造されている

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鋳抜門に鎮座する狛犬 [ブラボー]

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反対側からの鋳抜門である 手前に見える狛犬の頭には
角があるのが確認できる 鋳抜門の正面に鎮座するこの狛犬は
創建当時は木製でしたが寛永18年(1641)に石造になり
慶安3年(1650) 鋳抜門が再建された時に銅製に造りかえられた
製作者は鋳抜門と同じ衛椎名伊豫とされ 鋳抜門の附として
国指定重要文化財に指定されている

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日光東照宮・奥宮鋳抜門 [時空]

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拝殿奥に在る奥宮の鋳抜門である この門は
初代将軍徳川家康の墳墓の上に建てられた鋳抜門宝塔
(奥宮)の前に建てられた銅製唐門で 高さ3.4m 柱間2.5m
慶安3年(1650)に鋳造されていて 門は全て青銅鋳物製
屋根 柱 壁と別々に鋳造されたものが組み立てられ
重厚な造りだが 門扉の細かな意匠には金が使用されるなど
格式と荘厳が感じられる 鋳抜門の製作者は幕府お抱えの
鋳物師衛椎名伊豫 左側の狛犬の頭には角がある

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拝殿奥の奥宮 [時空]

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拝殿の奥 背後には鋳抜門が在り その奥は奥宮である
奥宮には 徳川家康が埋葬されている上に建てられた
宝塔か建てられている場所であり ここ拝殿は
東照大権現に祈りを捧げるために 歴代将軍が座る場所である
拝殿は黒一色の地味な外観に対して 内部は金箔の柱
極彩色の鳳凰など豪華な仕様になっているという
拝殿横の社務所では奥社限定の「叶鈴守」を授与してくれるほか
ご朱印を頂くことも可能であるという


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奥宮拝殿(日光東照宮) [めぐり逢い]

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坂下門を抜け 奥社へと続く石段を207段登り詰めると
寛永13年(1636)に建てられた ここ日光東照宮・奥宮拝殿へと着く
桁行5間 梁間3間 入母屋 銅瓦葺き 前後に唐破風を設える
外壁は銅板を貼りその上から黒漆が塗られていて
ずっしりと重々しい感じの拝殿である
ご覧のように 将軍以外昇段参拝が許さなかったこの場所は
東照宮の境内に在る極彩色に彩られた他の建物とは違い
祀られている東照大権現 江戸幕府の初代将軍
徳川家康と向き合う場所である

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人目に触れぬ狛犬 [な~るほど]

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寛永13年(1636)建立の関東最古の参道狛犬
東照宮の中で この狛犬は特別な存在であり
縦置きで阿には角が付いていて 威厳に満ちた顔と
逞しいボディ 鬣(たてがみ)は神殿狛犬のように阿吽で変化を付け
尾は太い綱状のものが何本か固まり立っていて
この時期の狛犬としては非常に完成度の高い傑作
そんな狛犬だが 坂下門より先は 江戸時代には
将軍しか入れず この狛犬は人の目に触れ猫となく
家康の霊廟を ひたすら守り続けていた
コピーされることも無く 日本的なスタイルを守り続けたという
昭和40年 東照宮350年祭を機に公開され
それから一般の人に観られるようになった狛犬である

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奥宮拝殿前の狛犬 [めぐり逢い]

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御宝蔵の前の奥宮拝殿へと登る石段の前に建立と鎮座する狛犬
この狛犬は 家康公の遺臣である松平右門大夫正綱と
秋元但馬守泰朝両氏の二氏の 当宮造営の功により
寛永13年(1636)に特に奉納を許され 寄進されたもので
関東最古の参道狛犬と言われている
松平正綱は玉縄藩初代藩主で駿府城詰めで 家康の死後は
日光東照宮の造営や参道の整備などに尽力している
秋元泰朝も家康の側近で総社藩主 寛永13年(1636)の
日光東照宮の造営では総奉行を務めている

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銅鳥居脇の銅神庫 [時空]

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石段を登ると 銅鳥居の脇に建つ奥宮 銅神庫(どうじんこ)
明治初年の神仏分離以前(神仏習合時代)は御宝蔵と呼ばれていて
朝廷から初代将軍徳川家康や日光東照宮におくられた
官符宣命などの文書を収蔵していたという
承応3年(1654)に建てられ 桁行3間 梁間2間 寄棟
銅瓦葺きの建物で 外壁は銅板を貼りその上から黒漆が塗られ
奥宮に霊気をもたらし 身の締まり
どっしりとした落ち着いた雰囲気を持ち合わせている

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奥宮 銅製明神鳥居 [ブラボー]

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日光東照宮奥社の入口に建つのは銅鳥居である
創建当初は石造りの鳥居であったが地震で倒壊
現在の銅製明神鳥居は天和3年(1683) 5代将軍・徳川綱吉の寄進で
御神号勅額は後水尾天皇の勅筆
この鳥居の奥は 東照宮の御祭神・徳川家康公の墓所
この銅鳥居の奥には銅神庫・拝殿・鋳抜門・宝塔などが建立されている

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家康公の墓所入口 [めぐり逢い]

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奥社への入口の門 坂下門(眠り猫)から
10分~15分くらい登る 道はすべて石製となっていて
「石製の階段」と「石づくしの道」 別名
「石廊下」とも言われる道を コの字を描くように進む
石段の先に現れたのは 陽明門の延長に在る銅鳥居である
階段状の先に在るため 奥社内の
拝殿・鋳抜門(いぬきもん)・御宝塔などは見えないが
日光東照宮の一番奥深い所まで登って来た
そこに現れる東照宮の御祭神・徳川家康公の墓所とは
どのようなものなのか 今は拝観が許されている

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奥社宝塔への「石廊下」 [ブラボー]

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坂下門からは杉並木の続く空間は独特である
陽明門等の色彩と豊かな装飾の空間から離れ
自然のなかを巡るさまは 霊場を感じさせる造りである
元和2年(1616) 徳川家康が駿府城で死去すると
天海大僧正により 家康の神号が「権現」に勅定され
朝廷からは東照大権現を含む4案を提示 家康の神号が決定する
元和3年(1617) 東照社が日光山に遷座し 日光東照社が竣工
元和8年(1622年) 奥院宝塔(現在の奥社宝塔)と石垣の造営が竣工し
東照社七回神忌に徳川秀忠が参拝している
その同じ奥社宝塔への石段を登って行く

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「開かずの門」の坂下門 [時空]

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「開かずの門」の坂下門の先は 江戸時代は将軍しか
入れなかった場所で 徳川家康公の神柩を収めた
奥社(奥宮)で 日光東照宮で一番神聖な場所である
奥社へと続く石段は 207段あるといい
全て一本石を使った石段 石柵も一本石を刳り貫いて
作られているという 寒さの厳しい日光では
霜柱で浮き上がらないよう 重く大きな石が必要だった
東照宮は 三代将軍徳川家光が寛永造替を行なっていて
最初からあったのは現在の奥社(当時は奥院)であり
奥社宝塔は昭和40年の東照宮350年祭を機に公開され
それ以前は非公開とされていた神聖な場所である

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鶴の透かし彫り [ブラボー]

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坂下門は一間一戸 銅瓦葺き 八脚平唐門で
この奥が徳川家康が眠る奥宮だが 普段は閉められており
将軍参詣の折しか開く事がなかった事から
「開かずの門」とも呼ばれていたという 欄間には
このように鶴の透かし彫り 腰羽目には牡丹と唐草が
彫り込んであり 飾金具に七宝焼を用いるなど豪華な仕様
全体的に白と金を基調とし 唐破風の"眠り門"が付いている

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日光東照宮・坂下門 [時空]

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「眠り猫」の彫刻のある東回廊の潜門をくぐると在るのが
この坂下門であり 奥社へと向かう入口の門として
寛永13年(1636)に造営されたもの
後に屋根の葺き替え・塗装・そして飾金具の変更はあるが
基本的な形式変更がなく 創建当初の姿を残しているという
この門をくぐると ご覧のような長い「石廊下」と呼ばれる
石畳と石段の杉木立を通り 徳川家康の墓所へと続く
日光東照宮の奥社への坂下に位置することでこの名がついている

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