ワンポイントフォト [余談]
さて 早春に桜の花の成長と共に時を経て来たが
散ってからの時の流れ そして気候の変化は速く もう四月も末
ゴールデンウィークに突入した とは言え 年間ウィークの私には
混雑している観光地へなど出掛ける必要はなく 今日からは
定期投稿の他に 雑記を掲載することにする
私のブログは ひとつのテーマが長く 季節に生まれるフォトが
たまって行く一方であり こうしてワンポイント投稿で
自然の美しさで ブログを飾って行きたいと思う 以後よろしくです
普段の生活は何処へ [余談]
2023年 4月も終わろうとしている
例年ならば 5月の連休を絡めて 信州へと出掛ける
そんなゴールデンウィークの始まりであるが
どうもコロナ過の影響なのか それとも毎日が祝日
そんな生活からなのか 出掛ける気分は委縮している
コロナさえ これで収束というよりは感染減少傾向と
思えたが また少しづつではあるが広がる気配である
変則気候とコロナ感染 目に見えない相手に翻弄されている
ブレる時節のなかで [余談]
例年は連休の前後に満開になる躑躅も 今年はもう満開である
季節はどうなっているのかと思うよりも 季節に順応して
咲く時期を早める植物は 順応していて
体調を崩してしまう あるいは暦を基準にしていて
思考と体のバランスが順応して 自然に対応する力が
薄れてきているのかも知れないと思うくらい
最近の気候の変化は異常であり 昔はこんなことを思いつく
そんなことのない 長閑な時代であったと思うが
今の若い人たちには 当たり前のことであり
順応できないのは 我々の世代だけかも知れない
一年を振り返る その二 [余談]
昨年の夏ころからテニスに復帰 そしてゴルフはこの2月に
コースを廻り 筋肉が衰えたせいか ドライバーは飛ばないが
真っすぐ飛び 結局100切りで終了 まずまずであった
現在は金曜日 そして日曜日に各4時間のテニスを熟し
ゴルフは地元の河川敷で練習ラウンド 4月には
2回目のコースを回る予定が入っている
体力はほぼ回復したが 下半身の溜めが少しイマイチで
完全とまでは行かないものの 普通にプレイするまで戻った
気持ちとしては この三月がひとつの区切りとなる
そんな感じである 昨年は観られなかった
桜咲く春は もう目の前であるが ブログは東照宮に戻る
一年を振り返る その一 [余談]
令和五年も3月に入った 思えば昨年(2022)
気を失い トイレで転倒し 入院してから早一年
後遺症も何もなく 順調に回復している
回復と言っても 本人は倒れた状況や経緯を実感して
いるわけでは無く 本人よりも周りの人たちのほうが
大変だったようであると 振り返っている
毎日の散歩は続けており とにかく体力の低下を
補うだけであるが 昨年11月には 無症状のコロナ感染
こちらも症状はほとんどなく 一週間を過ごした
入院もコロナも 大したことなく済ませた一年であったが
今まで感じたことのない 自分の体と向き合った
そんな一年であった 薬も通院もない一年である
日光東照宮 表参道 [余談]
輪王寺まで戻ると 日光東照宮に向かう表参道で
この先の突き当りで 左に大きくカーブする
フォト上は大谷川の神橋から上がって来る道で
この先(フォト下)が 東照宮社号標 石鳥居
東照宮山門へと続いている 広々とした参道
そして余裕のありすぎる境内を歩き続ける
自分では気付いていないのだが 日光東照宮は
東京の基礎を築いた徳川家康が眠るということで
東京で生まれ育った私の体には 東京DNAが
組み込まれている そんな気がするほど
違和感のない場所に思えるのである
床の間か それとも書院 [余談]
和室の一角に造られる 床よりもやや高い場所を床の間と呼ぶ
床の間は客間に造られることが多く 掛け軸や花瓶などの
美術品 生け花などを飾り 来客をもてなす
また 床の間の横に 障子窓と小さな棚のある空間は
書院とよばれ 縁側にはみ出す形でつくられるケースもある
本来書院とは 書物を読むために設けられたものだが
今は 採光やインテリア目的で設置されるのが一般的であるという
自分の歴史を味わうように [余談]
これがそのマウントバーム しっかり芽1山
バームクーヘンのフランスパン 皮はカリッ 内は熟成の
フランスパンのような食べ心地が魅力の一品との謳い文句
バームクーヘがこのような形で販売されているのも
珍しいが 食べたい量を自分でカットする愉しさが潜む
そんなバームクーヘンでもある
ねんりん家 和を秘めた表現と美味しさを演出するお菓子である
鏡開き 揃い踏み七車輛 [余談]
元旦 揃い踏み七車輛 遊び心は新年に継続
新年のご挨拶に投稿しようと思ったが
都電荒川線内での登場とすることに
パッケージはその役目を終えると ゴミへと変わるが
この都電パッケージの一部は このような形で残ることに
と言っても 珍しい初めのうちだけ注目されて
やがてはごみの回収に出されるわけである
車輛だから燃えないゴミの日に出すのか
遊ぶのもいい加減にしろと そんな声を
気に掛けながらの投稿である
気になるのは 鏡開きの後のこの都電の行方
無病息災の願いを込めて もなかはもうお腹のなかにある
コスモスが咲く房総にて [余談]
日本全国を測量して歩いた伊能忠敬なので
これからも何処かで 巡り合うことになるのだろうが
とりあえず何年か前に知り 気になっていた
その場所を ゴルフ前の早朝に巡って来た
気ままな散歩は 時をたどる散歩となったが
これもまだ 行ける距離範囲内に在るという部分で
気持ちを掻き立てるのであるが 人間の心の内には
過去のものも そして未知のものへ つまり
解からないものを求めて行くことにより
脳を活性化させているように思えるのである
それぞれの六十代 [余談]
伊能忠敬は50歳で隠居し 江戸へ出て再婚をする
そして地図作りへの第二の人生
66歳で定年退職し 気まま散歩や
テニス ゴルフ 相撲観戦 観劇 クラシック
そしてブログと 母親の介護をしつつも
遊び惚けている誰かさんとは違う
もっとも その気ままな散歩のなかで出会ったのが伊能忠敬
出生地からお墓まで辿ったが 一歩一歩歩いた足跡
日本全国の計測値の散歩は 気ままでは無理である
それぞれの六十代 エッ そこで比べる(?)
隠居後の道楽人生 [余談]
上野の源空寺で 高橋至時と並んで建っている
伊能忠敬の墓を見て来た そして佐原の伊能家の墓
佐原時代には地域のために尽くし
隠居して50歳で江戸に出て 日本各地を測量
弟子により「大日本沿海輿地(よち=大地)全図」の完成
道楽とは 本職以外の道にふけり楽しむことだが
忠敬は隠居後に愉しみかたは それを遥かに超えた人生であり
この二つの生き方には非常に興味が湧くのである
香取市に二つの観福寺 [余談]
初回は地図を見て 場所を確認するくらいの
気ままな散歩が 私には性に合っていて
どんな世界が広がるのか そんな期待感から
いちばんワクワクする瞬間でもある
さて この時は知らずに好奇心に満ちた
お寺巡りであった 帰って調べているとおかしなことになり
なんと 香取市には牧野にあるこの寛平2年(890)開基の観福寺
そして山倉にある弘仁2年(811年)円頓により
創建されたもう一つの観福寺があり
記載して行くうちに つじつまが合わなくなり
ブログは混乱状態に至ったのである 余談
霊巌持と水戸街道 [余談]
霊巌寺の六地蔵は水戸街道沿いとなっている
今まで紹介した四つは街道の入口に在ったが
霊巌寺は水戸街道沿いには無い もっとも
言問橋で隅田川を渡る水戸街道
言問橋を渡らずにそのまま三ツ目通りを南下すると
すこし離れて 霊巌寺の近くを通るのだが
少し無理があるように思える またほど近い
6番目の地蔵が在る永代寺は 千葉街道の入口となっているが
側を通る訳でもなく これも離れていて
正元坊が深川に住んでいたのが理由と思われる
梅雨入りの狭間で [余談]
今まで 新型コロナウイルスに対しては 自分なりに
状況を分析 そのなかで 自重しながら散歩をしていたが
変異株のコロナの登場と 母親の濃厚接触者騒動で
慎重にならざるを得なくなり 食事の買い物や
テニスとゴルフ以外 ほとんど家から出ることが無い
そんな状態である 高齢者のワクチンの予約も
ままならず 自粛というよりは 外出する気になれない
そんな今日この頃のなか 久しぶりの公園散策で出会った花菖蒲
もう梅雨と言うよりは夏へと向かう勢いである
あの日を振り返る今 [余談]
その後 小さな余震は何度も繰り返されたが
落ち着いたかに見えたところで この日の予定を続行それは県境の 古い橋を渡っている時に起きた
第二波である コンクリート製の古びた橋は
左右前後に大きく揺れ 対向車線の大型トラックが
ハザードランプを点滅して停車 こちらもブレーキである
「橋と共に落ちる」 阪神淡路大震災時の 高速バスが
落ちた道路の端に 前輪を落とした姿が甦る
「走り抜けましょう」の声に 揺れ続けるなかを
慎重にアクセルを踏んだのを覚えている
緊急事態の行動 パニックである
巡る記憶のなかで [余談]
当時はまだ在職中で あったが 東日本大震災による
地震と津波で発電所などの電力設備が被害を受け
計画停電が実施され 街の灯りが消えたことを思い出す
戦後生まれの渡しは 東京大空襲の恐怖は
これよりも悲惨であったと思うのだが 精神的には
同じくらいのパニックを感じていたと思う
阪神淡路大震災もショックな出来事であったが
より身近に感じたことは確かである
阪神淡路大震災で学んだのは
地震だと感じる時間があれば 命は大丈夫と思ったが
津波の怖さを知ったのは 東日本大震災であった
風化が進む大震災 [余談]
3月は年度末で 節目の年となるが
冬と言う季節の中で 控えめな気持ちで過ごすなか
阪神淡路大震災 そして東日本大震災は
自分の生涯の歴史の中でも 特別なものである
新型コロナウイルス感染もそのひとつであるが
まだ 自身の気持ちをコントロールする余裕が持てる分
違うものを感じる 東日本大震災については
風化が進んでいるかの問いに「そう思う」「ややそう思う」が
7割であるというが 大きいのは 記憶の中に残り
そして 体が覚えていることだと思うのである
この花 地面に低く咲く馬酔木である
東北大震災の教訓 [余談]
3月も10となった 以前は3月と言えば
3月10日の東京大空襲であったが
歴史は積み重ねられ 今は東日本大震災に代表される
あれからもう10年が過ぎようとしている
現在は新型コロナウイルス感染防止の緊急事態宣言
同じ自然界を相手にしているのだが
恐怖感は東日本大震災のほうが大きかった
双方とも精神的なダメージは大きかったが
揺れという実体感と防止行動が取れない地震と
完全では無いにしても ある程度予防の行動がとれる差は大きく
また 数値で表されていることは決定的な違いである
そんな時期に 椿の大輪は咲いていたのである
消毒液に願いを込め [余談]
今年の拝殿には 新型コロナウイルス感染防止の為に
アルコール消毒液が置かれている
お賽銭を差し出す手を消毒するのか
このお賽銭は 神様に届くものでは無いらしい
苦しい時のアルコール頼み 神事の社会も
一般社会の夜の町と同じである
使いの狐とともに置いてある消毒液
いっその事 消毒液に直接願いを書いてみようと思えるのである
甘くはない初フォト [余談]
「まだ 甘いなぁ」と 自然の声である
新春の初フォトは 厳しい真冬の朝の光景である
コロナ感染のなかで 自粛の控えめさのなかでも
朝早くからの気ままな散歩に まだ何処かに
期待の気持ちをもっているでは あらしまへんか
どうしたことであろう 急に京都ことばである
いや とにかく寒い朝で 「そのとおりや」 世の中 そんなに
甘いもんではおわしませんで と 知っている限りの
言葉を並べて それもいきなり尊敬語である
まっ そのくらい凍っていたというわけだが
とにかく 期待したフォトは撮れずに帰って来た
新年は 凍てつく散歩に始まり 帰宅後に お墓参りと続いた
初夢は富士山と・・・ [余談]
元旦の一日は 一歩も外へ出ずに終わり 万歩計は11歩を刻んだだけ
本当に静かな風だけが流れている感じで
鳥の囀りさえ 耳に入らない様子で
コロナウイルスが去ったように 空だけが青々と澄んでいる
蜜など もともと存在しない我が家のライフ空間
外出だけが 蜜の世界と結びつく 唯一の場面である
2021年も 我慢のなかで愉しさを求めて行く
今日は公園を初散歩する そんな予定である
お初フォトは 何であるかが愉しみ 今 二日の午前四時
初夢は 記憶に残らないまま目を覚ました
2020 今年を振り返る [余談]
さて 2020年も大晦日イブとなり 残すところあと二日
年末を こんなに感じない年も珍しいくらいである
コロナ感染の影響で ソーシャルディスタンス
そして人の出が少なく 慌ただしさを演出する
ざわめきが生まれる状況ではないことが
師走には似合わない状況の要因である
高ぶる心の高揚も 生まれることも無く
心の高ぶりのひとつは 人の蜜より生まれることを
改めて認識 このコロナ過で感じることである
ブログの行先は何処 [余談]
さて 師走に入ったが コロナ過で外出を控えているなか
ブログは何処へ行こうか 決め兼ねている
今は年末の小分け掃除を実行中で
毎日は 散歩と掃除と買い物 そして週に一度のテニスで
過ぎて行く生活に 慣らされてしまった
変化のないブログも どうにかしたいと
思ってはいるのだが 行動するエネルギーに
静かに浸透して行く感染予防網を感じている
令和二年十一月 霜月 [余談]
気が付けば山茶花が咲いている季節に
冬をイメージする花である
このまま静かに過ぎて コロナのワクチンが誕生
そんな筋書きを描いていたが 近頃は感染者数が増し
心の内は 年末へと暗いムードが漂い始めている
チョットした油断で収まってくれればよいが
そんななか この柔らかなピンクの花の色が
少しの明るさを与えてくれる
そんな十一月 師走への準備 霜月である
Go To トラベルの隅に [余談]
紅葉の季節となったが その行動は鈍い
新型新型コロナウイルス感染対策においては
Go To トラベル キャンペーンに観られるように
外出を規制するものではないが 感染者数が増し
増加の理由が曖昧なことが 行動をためらわせる原因で
感染防止と経済の活性化の両立には もう少し
極め細やかな説明や情報が必要であるが
それはもう 秋の空のような状態であり
いつの時代も 自分で判断して行くしかない
不安のなかに居るが それでも私はまだ楽な立場にある
一喜一憂の小春日和 [余談]
小春日和の夕暮れ 再び冷気が忍び寄って来る
そんな雰囲気である
昼間 温められた大地が 熱を保つことが出来ず
日中に20度くらいまで上った気温は これから
大気にへと放出されて行く
いわゆる放射冷却である
秋の日の 数時間の寿命の小春日和
体感する一喜一憂を愉しむ
お天気のマジックに浸っている昼間も
気が付けば晩秋 そして初冬へと向かうことになる
たぬきの八相縁喜 [余談]
狸には八相縁喜というものがあり 八つの縁起がある
笠 思わざるは悪事災難避けるため用心常に身をまもる笠
(思いがけない災難から身を守る)
通 世渡りは先ず信用が第一ぞ活動常に四通八達(世渡りには信用が第一)
目 何事も前後左右に気を配り正しく見つむることを忘れめ
(何事も前後左右に気を配り 正しく見つめる)
腹 もの事は常に落つきさりながら決断力の大胆をもて
(常に沈着冷静にしかし決断には大胆さが必要である)
顔 世は広く互いに愛想よく暮し道を以って務めはげまん(常に愛想良く真を以て努める)
金袋 金銭の宝は自由自在なる運用をなせ
(金銭を自由自在に使える金運に恵まれるように)
徳利 恵まれし飲食のみにこと足利て徳はひそかに我につけん
(飲食には困らず 徳を持てるように努力せよ)
尾 なに事も終わりは大きくしっかりと身を立てるこそ真の幸福
(物事の終わりは大きく しっかりと身を立てることが幸福である)
相撲の対戦相手は [余談]
通勤電車でテニスへ [余談]
新型コロナウイルス感染による
自粛ムードにも その自粛の仕方に
慣れて来たのか 最近は テニスを
する機会が多くなって来た
酷暑とコロナの影響もあるのだが
今まで継続してやって来たテニスの
メンバーが ここへ来て 暑さと
コロナで欠席がちで 欠員の応援を
頼まれているわけである
もちろん平日の日中で 退職二年目の
私なぞは おまめに近い方で
お相手は先輩格の皆さんだが 昔から
プレーを続けていて まずフォームが
綺麗で お元気であるということ
そして 覇気がある 私がその年齢まで
続けられるのか とも思うし テニスが
出来るのか とも思える 今日は
錦糸公園 京成押上駅から 歩いて行く
ことにする スカイツリーが迎えてくれる
自粛ムードにも その自粛の仕方に
慣れて来たのか 最近は テニスを
する機会が多くなって来た
酷暑とコロナの影響もあるのだが
今まで継続してやって来たテニスの
メンバーが ここへ来て 暑さと
コロナで欠席がちで 欠員の応援を
頼まれているわけである
もちろん平日の日中で 退職二年目の
私なぞは おまめに近い方で
お相手は先輩格の皆さんだが 昔から
プレーを続けていて まずフォームが
綺麗で お元気であるということ
そして 覇気がある 私がその年齢まで
続けられるのか とも思うし テニスが
出来るのか とも思える 今日は
錦糸公園 京成押上駅から 歩いて行く
ことにする スカイツリーが迎えてくれる