松本にウィーンの響き [クラシック(音楽)]
これは当日買い求めたTシャツである サイトウ・キネン・コンサート
私にとっては忘れられないオーケストラコンサートで
26年前に買ったこのTシャツは 私の宝物という感覚で
袖を通すことなど出来ない 当時のままの新品である
あの頃はビデオテープだったが 擦り切れるくらい
何度も観た演奏会であったが そのメンバーが目の前に
小澤征爾の指揮姿が 表情が伝わる客席で鑑賞し その音色の
美しさ ウィーン風の透明で繊細な音の響きで聴いた
ベートーヴェン作曲 交響曲第六番「田園」 今でも私の中にある
ティンパニーの ボストン交響楽団のエヴァレット・パース
そしてベートーヴェンの「レオノーレ」序曲第3番のトランペットの響き
清く流れるような弦楽器の響き 美しい空間に浸っていた
クラシックを聴こう [クラシック(音楽)]
これは小澤征爾指揮 サイトウ・キネン・コンサートの
ブラームス交響曲全集 CD3枚組である
CDウォークマン そしてネットワークウォークマンで良く聴いた一枚
ブラームスを聴くようになってから ベルリオーズ
マーラー そしてブルックナーを聴くようになった
毎年開催されるウィーンフィル・ニューイヤー・コンサートに
小澤征爾さんが登場したのが2002年 驚きであった
二年位前に 成城学園を散歩中に小澤宅に出逢ったのは 嬉しく思えた
最近 私の生活の中で 音楽が少し遠くなった気がするが
日本人の小澤征爾さんのベルリオーズ そしてブラームスなど
またゆっくり聴いてみたいと 改めて思っている
最近は映像を観ることが多かったが 耳で音楽と向き合おう
七夕オーケストラ [クラシック(音楽)]
これは1998年のサイトウキネンコンサートのチケット
サイトウキネンとは 1984年9月 桐朋学園創立者の一人であり
偉大な教育者であった齋藤秀雄氏の没後10年に
彼の教え子であった指揮者小澤征爾の発案により
秋山和慶ら門下生100余名が メモリアルコンサートを開催した
サイトウ・キネン・オーケストラ(SKO)は これが基礎となって
生まれたオーケストラで 1992年に長野県松本市をSKOの
本拠地とした 「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」
(旧サイトウ・キネン・フェスティバル松本)が開幕
以降 毎年世界から注目されるオペラやコンサートを開催している
一年に一度 世界各地から集まるメンバー 七夕オーケストラとも呼ばれる
。。
。。
サイトウ・キネン・コンサート [クラシック(音楽)]
サイトウ・キネン・コンサートに行ったのは 第九を聴いてから
七か月後の9月 サイトウキネンのオーケストラの音を
生で聴いてみたいと思っていたが チケットが取れず
弟ファミリーが取ってくれたチケットで行くことが出来た
当日は帰りの都合上 車で行くことにしたが 土曜日とあって
朝八時に出たものの 中央高速の渋滞にはまり お昼で八王子
五時に松本の会場へ着き 食事を済ませて演奏会場へ
歓喜のベートーヴェン [クラシック(音楽)]
私が小澤征爾さんの指揮による音楽を聴いたのは 1998年1月30日
ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」である
私がクラシックを聴き出すようになったのは
私は二十歳頃だったと思うが 友人がカセットレコーダーを
持っていて 自分の好きな音楽を レコードを掛けるより
気軽に音楽を聴いていたことであり 私もすぐに飛びついた
ただ音源はラジオが多く 音質の良いFM放送から録ったのが
ブラームス/交響曲第1番 エドゥアルト・ファン・ベイヌム(指揮)
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団であった
なぜ覚えてるかと言えば この曲を理解するのに3年掛かった
この時の体験が 今も残っていると思う
このフォトは2004年のサイトウ・キネンのパンフレットだが
さて そのベートーヴェンの第九を初めて聞いたのが小澤征爾の指揮
平成10年(1998)2月7日 冬季オリンピック長野大会の幕開けを彩った
“世界のオザワ”指揮による5大陸「第九」同時合唱の壮大なイベントと
同じメンバーによる東京でのコンサート
錦糸町のすみだトリフォニーホールでのコンサート
初めての第九に 最後は涙が止まらなかったことを覚えている
指揮者 小澤征爾 [クラシック(音楽)]
昨日 世界的な指揮者 小澤征爾さんが心不全のため 9月6日に
都内の自宅で亡くなられたとの訃報を聞き ショックを受けた
クラシック音楽が好きであった私は 若い頃は
ベートーヴェンの音楽が中心で 本来の意味で
音楽の持つ表現力を知らなかったが
多分 転機になったのが小澤征爾指揮 ボストン交響楽団の
マーラー作曲 交響曲第二番「復活」である
そしてテレビに流れたサイトウキネンコンサート
ヨーロッパ・ツアーのブラームスの音楽が中心で
特に交響曲第一番 その出だしと揺さぶられ続ける第一楽章
そして繊細な響きの第二・三楽章 そしてフィナーレ
ベートーヴェンの第九を思わせる第四楽章に流れるフォルンのメロディ
小澤征爾さんの創る響きからクラシック音楽の旅が始まった
継続は愉しさの原点 [クラシック(音楽)]
最近はCDをパソコンに落とす作業に集中していて
ブログ更新を忘れるひとつの要因でもある
作業は現在 170ギガ分のCDデータを書き込んだが
未だ 半分にも達していない状況である 操作もようやく慣れて来て
今月中には終わらせたと思っているが
よくこんなに集めたものだと 我ながら感心する
当時は一枚¥3000~¥3500 今はインターネットで¥1000以内で
買えるが あの当時に愉しめたことが いまより深く愉しめると思う
継続は力なりというが 私には継続は愉しさの原点であると思える
コロナ過のクラシック [クラシック(音楽)]
こちらは山茶花である
花には 見分けの付かない花があり
例えば 山茶花と椿の見分け方
ブログを進めていくうちに 理解できるようになった一例である
もちろん全てではないが そんな小さなことが嬉しいのである
最近 フリッツライナー指揮のシカゴ交響楽団で
ヴェートーベン 交響曲第六番「田園」を聴いている
久しぶりに 自然のリズムの中にいる自分を感じる
ヴェートーベンの良さは 音の響きの後に
曇りのない世界が広がって行くようで
それは 血液を音に変えたようにも思われる
今はヘッドホーンで 田園を独り占めである
元旦はウィーンフィル [クラシック(音楽)]
一年のスタートは ウィーンフィルニューイヤーコンサート
音楽聴き初めである 今年は新型コロナウイルス感染により
聴衆の居ないウィーン学友協会「黄金のホール」で行われた異例の公演
コロナ過のなか ウィーンフィルのサウンドが 全世界に響き渡った
音楽もさることながら このコロナウイルス環境下のなかで
行われたこのコンサート 音が奏でられる
あたり前なことのなかに 重い意味がふくまれることを
改めて感じながらの 一年のスタートである
ホームコンサート [クラシック(音楽)]
自粛の影響もあるが 最近は
自宅で音楽を聴く機会が増えた
時間があるということ 車での
外出が減り 音楽を聴く時間が
減ったことが その理由である
気が滅入っているわけでも無い
のだが 今はブルックナーより
力強い音楽を求めているようで
今日はブルーノ・ワルター指揮
コロンビア交響楽団演奏の
ベートーヴェン:交響曲第3番
「英雄」を聴いている この
ナポレオンの力強さで 新型コロナウイルスを吹き飛ばしてほしいものである この後で
聴いたのが クラウディオ・アバドのベートーヴェン:交響曲第5番「運命」と第7番 久々の
アバド指揮の演奏であった 今日はチャイコフスキーの第4番 第5番のホーム演奏会である
自宅で音楽を聴く機会が増えた
時間があるということ 車での
外出が減り 音楽を聴く時間が
減ったことが その理由である
気が滅入っているわけでも無い
のだが 今はブルックナーより
力強い音楽を求めているようで
今日はブルーノ・ワルター指揮
コロンビア交響楽団演奏の
ベートーヴェン:交響曲第3番
「英雄」を聴いている この
ナポレオンの力強さで 新型コロナウイルスを吹き飛ばしてほしいものである この後で
聴いたのが クラウディオ・アバドのベートーヴェン:交響曲第5番「運命」と第7番 久々の
アバド指揮の演奏であった 今日はチャイコフスキーの第4番 第5番のホーム演奏会である
グレーウィークの愉しさ [クラシック(音楽)]
私が使用のオーディオデッキ
購入したものではなく 親戚の
人からの譲り受けたものである
その際 スピーカーも一緒に
頂いた クラシックは好きで
あったが 余り音質の拘りは
求めていなかったように思える
(音質の追及は切りが無いから)
聴いたときに驚いた とにかく
音が澄んでいること スッキリ
とした珈琲のようである 選曲
により違うとは思うが 細部の
音が鮮明に響き 音の重なりが
温かく 感じとれるという印象
というものの 正直 デッキによる違いは余り解らないが スピーカーによる違いは歴然で
ある この響きは心地よい麻薬であり 外出自粛要請に対し 大いに手助けしてくれている
ゴールデンウィークも今日で終了だが 愉しさを骨抜きされたグレー月間は 未だ進行中
購入したものではなく 親戚の
人からの譲り受けたものである
その際 スピーカーも一緒に
頂いた クラシックは好きで
あったが 余り音質の拘りは
求めていなかったように思える
(音質の追及は切りが無いから)
聴いたときに驚いた とにかく
音が澄んでいること スッキリ
とした珈琲のようである 選曲
により違うとは思うが 細部の
音が鮮明に響き 音の重なりが
温かく 感じとれるという印象
というものの 正直 デッキによる違いは余り解らないが スピーカーによる違いは歴然で
ある この響きは心地よい麻薬であり 外出自粛要請に対し 大いに手助けしてくれている
ゴールデンウィークも今日で終了だが 愉しさを骨抜きされたグレー月間は 未だ進行中
想い出の余談として [クラシック(音楽)]
チョッと一フォトである
私のCDコレクションである
コレクションというよりも
17歳で出会うカセットテープ
からの延長で CDへと変化し
長年 聴きたいものを集めた
ものであり 今でも求めている
もっとも 最近はTVからの
ダビングが増えているが
カセットテープも多く 初めて
の録音 ヘンリー・ルイス指揮
ロイヤルフィルハーモニーの
ベートーヴェンの交響曲第6番
「田園」 そして初めてのCD カラヤン指揮 ベルリンフィル「組曲アルルの女 第1番 2番」
若い頃はベートーヴェン メンデルスゾーン ドボルジャーク モーツァルト そして
ブラームスからマーラーへ 今はブルックナー いつも音楽が隣にした青春時代 朝起きて
鳴りだすのはテレビでは無く クラシック音楽であった 澄んだ音は青春そのものに通ずる
私のCDコレクションである
コレクションというよりも
17歳で出会うカセットテープ
からの延長で CDへと変化し
長年 聴きたいものを集めた
ものであり 今でも求めている
もっとも 最近はTVからの
ダビングが増えているが
カセットテープも多く 初めて
の録音 ヘンリー・ルイス指揮
ロイヤルフィルハーモニーの
ベートーヴェンの交響曲第6番
「田園」 そして初めてのCD カラヤン指揮 ベルリンフィル「組曲アルルの女 第1番 2番」
若い頃はベートーヴェン メンデルスゾーン ドボルジャーク モーツァルト そして
ブラームスからマーラーへ 今はブルックナー いつも音楽が隣にした青春時代 朝起きて
鳴りだすのはテレビでは無く クラシック音楽であった 澄んだ音は青春そのものに通ずる
2018年大晦日イヴ [クラシック(音楽)]
今年を振り返る時期である
平成の時代が終わるとともに
私も一区切りをすることになる
それについては後日に触れる
さて 今年のブログを振返ると
信州での歴史捲りが なかなか
面白く 例年になく回を重ねた
以前は季節を追い掛けていた
いたような気がするが 真田
から武田へと 歴史を追い
掛けている 昔の人の生き
ざまが その土地の一角に残る
今でも大切に守られているのが面白い 今年の大きな出会いはブルックナー 多分生涯で
聴くことは無いだろうと思っていたブルックナーの魅力に 今は完全にとりつかれている
またスケールの大きな新しい世界 (空間) に飛び込み 揺れ動いている そんな印象である
12月の初めに大阪・京都日帰りをした もちろん新幹線であったが なるほど これも有り
と ブログの範囲の広がりを実感した 広がりは些細な縁から膨らむのを実感している
音だけのテレビジョン [クラシック(音楽)]
今日は柴又の花火大会で 先程まで
花火の音だけが 我が家に響いていた
ナイスサウンドには程遠かったが
最近 ひとつ愉しむバリエイションを
増やしたのは テレビでCDを聴く
ことである ながらテレビは集中
出来ず好きではないが CDを聴き
ながら ブログを書くことが日課に
なってきている もちろん聴くのは
ブルックナーで 耳と脳と指先が
見事なハーモニーを持って時を刻む
時には音楽に乗り 指先が指揮棒に
変化する時もあるが 直ぐに戻り
軽快なリズムに言葉もスムーズである
それぞれが独立していて 適当に
バランスを保っている時空を愉しむ
心地よい時間である もっとも余裕の
ある時ではないと無理であるが
今日は土曜日の深夜 心地よいクーラーの風を受けながら最適な時間である 今年は春先
よりブッルクナーを中心に聴いているが 今は第8番が中心で 初めに聴いた難曲の第7番
よりもずっと解り易い音楽であり やっと全体が見えてきたところ 音楽にはさまざまな
表現があり メロディーだけが主導でないのが良く理解出来る そろそろ第9番へと入る
花火の音だけが 我が家に響いていた
ナイスサウンドには程遠かったが
最近 ひとつ愉しむバリエイションを
増やしたのは テレビでCDを聴く
ことである ながらテレビは集中
出来ず好きではないが CDを聴き
ながら ブログを書くことが日課に
なってきている もちろん聴くのは
ブルックナーで 耳と脳と指先が
見事なハーモニーを持って時を刻む
時には音楽に乗り 指先が指揮棒に
変化する時もあるが 直ぐに戻り
軽快なリズムに言葉もスムーズである
それぞれが独立していて 適当に
バランスを保っている時空を愉しむ
心地よい時間である もっとも余裕の
ある時ではないと無理であるが
今日は土曜日の深夜 心地よいクーラーの風を受けながら最適な時間である 今年は春先
よりブッルクナーを中心に聴いているが 今は第8番が中心で 初めに聴いた難曲の第7番
よりもずっと解り易い音楽であり やっと全体が見えてきたところ 音楽にはさまざまな
表現があり メロディーだけが主導でないのが良く理解出来る そろそろ第9番へと入る
銀座でクラシック [クラシック(音楽)]
銀座松屋である これも以前
撮ったフォトで 底の方から
クリックをして出て来たもの
昔も今も 銀座へ行くと必ず
立寄るのが山野楽器で 今は
DVDが主流だが その頃は
CD 街中のショップでは
なかなか品ぞろえが無いが
ここへ来ればお気に入りの
指揮者の演奏も見つける事が
可能である ヘートーヴェンの
「合唱」も棚に二列配置され 輸入盤も豊富なことも魅力だ 最近は地デジでクラッシック
が増え クラシック音楽の番組が増え「オペラ」「バレエ」「演奏会」をはじめ「歌舞伎」等
録画・編集・ダビングと忙しく なかなか落ち着いて観るまでには至っておらず ブルーレイ
は溜まる一方である 今はブルックナーを集中して愉しんでいて その良さを少し感じている
梅雨明けのクラシック [クラシック(音楽)]
新たなる音楽の世界 [クラシック(音楽)]
音楽に身を任せて [クラシック(音楽)]
さてカラヤンのブルックナー
交響曲第七番「ブルシチ」を
聴き始めて どの位経過したで
あろうか 通勤車中 毎日二回
聴いているが この掴みどころ
の無い曲の 魔法に掛っている
今日この頃である 若い頃には
マーラーやブルックナーは聴く
耳を持たなかったが 何時の
頃からか マーラーの第二番
「復活」を聴いて感動し
マーラーに走った どうも私は凝り性というか 追い駆ける癖があり 聴き続けるのである
ブルックナーは目的を持たない私の散歩と重なるところがあり 音楽が自分の散歩で出会う
風景のように思える それは写実的ということでは無く 叙情的音楽というか 音楽の中に
身を置いて愉しんで行ってしまう そう心が愉しまされてしまう そんな感覚なのである
煌めきのアンサンブル [クラシック(音楽)]
浅草を出た私は次の予定地 川崎へ
今日は京成線で金町から乗り 柴又を
通り 押上(東京スカイツリー) を経て
浅草に来た 本来なら常磐線で松戸駅
或いは北千住駅へ 上野-東京ラインで
上野-東京-品川-川崎であるが
今日は浅草から都営浅草線に乗り
京浜急行で川崎へ直行である
さて 初めて降りる川崎の街のイメージは
その明るさである 広々とした駅前の空間
生き生きとしていて躍動感に溢れている印象
昔の薄暗いイメージは全くなく 今日の
コンサートにも似た雰囲気である
今日は川崎周辺で活動するオーケストラ
木管楽器 金管楽器 パーカッション中心の
吹奏楽演奏会 クラシックのオーケストラとは
また一味違う その迫力とキラめき
奏でるアンサンブルのひと時を堪能した 知り合いのホルン奏者もホルンに負けない輝きである
観ていると簡単そうに奏でている楽器にみえるが 鳴ったとしてもその音色の奥はまだまだ深い
わたしは聴き役にまわり その音色とアンサンブルの世界に酔いしれ もうひとつの秋を愉しむ
鬼笑うチケット [クラシック(音楽)]
N響オーチャード定期チケット
2017年5月7日(日)
開演15:30
指 揮:ピンカス・スタインバーグ
ピアノ:アンヌ・ケフェレック
NHK交響楽団
曲目 <モーツァルト>
ピアノ協奏曲第9番
変ホ長調 K.271「ジュノム」
モーツァルトがフランスの女性
ピアニスト 「ジュノム」のために
書いたといわれる作品で
チャーミングな演奏を期待
ケフェレックはフランス音楽や
モーツァルトでの洗練された
美しい演奏で知られる曲
<ベルリオーズ>
幻想交響曲 作品14 第1楽章「夢、情熱」 第2楽章「舞踏会」 第3楽章「野の風景」
第4楽章「断頭台への行進」 第5楽章「魔女の夜宴の夢」
幻想交響曲は病的な感受性と激しい想像力に富んだ若い音楽家が 恋の悩みによる絶望の発作
からアヘンによる服毒自殺を図る 麻酔薬の量は死に至らしめるには足りず 彼は重苦しい眠りの
中で一連の奇怪な幻想を見 その中で感覚 感情 記憶が彼の病んだ脳の中に観念となり そして
音楽的な映像となって現われる 愛する人その人が一つの旋律となって そしてあたかも固定観念
のように現われ そこかしこに見出され 聞えてくる ベルリオーズまだ26歳という若さでの作品
アンヌ・ケフェレック (68歳) とスタインバーグ (70歳) 二人のべテランとN響によるコンサート
クラシックとの出会い [クラシック(音楽)]
東京文化会館の英字表記は
「Tokyo Bunka Kaikan」
であるが上野駅や本館周辺の
案内表示では「Tokyo
Metropolitan Festival Hall」
または「Tokyo Festival Hall」
などと表記されている場合がある
これはそのホール入り口である
東京都交響楽団が本拠地と
しているホールで 私も何回か
行ったことがあるが オペラ
バレエ クラシックコンサートなど 世界中の著名なアーティストによる名演の数々が繰り広げられ
ウィーン国立歌劇場などの海外著名歌劇場が来日した際はここで公演を行っている 私が初めて
クラシックをライブで聴いたのもこの会場であったと記憶するが その時の指揮者は森正さんで
あったと思う 私のなかにクラシックの種を蒔いて戴いた演奏会 知らぬ間に育ち 開花した賜物
こちら東京文化会館 [クラシック(音楽)]
こちらは東京文化会館
大ホール 客席数 2,303席
東京都開都500年祭の記念事業
として1961年に開館 建築家
前川國男の代表作である 当時
神奈川県立音楽堂が在ったが
東京の本格的なクラシック音楽の
ホールとしては初期のものである
1982年のクラシック音楽専用の
ザ・シンフォニーホールを始め
1986年のサントリーホール等
最新の音響設計技術を用いたホールが開館されるにつれて 東京文化会館は「古いホール」の
イメージが強くなっていったが 1999年に竣工した改装により それは払拭された 国内のホール
の中ではバックステージが広く 海外の有名歌劇場が来日した際は公演に使用されることが多い
今日のホールはここ [クラシック(音楽)]
渋谷文化村 オーチャードホール
(Orchard Hall)は 渋谷区道玄坂にある
コンサート・オペラ・バレエ用のホール
1989年にBunkamura開業と同時に開館した
こけら落としは「バイロイト音楽祭日本公演」
Bunkamura内の各施設はテーマカラーが
設定されており オーチャードホールは赤
「豊穣」をイメージとした内装となっていて
orchard は果樹園の意味である
日本初の大規模シューボックス型
コンサートホールであり 総客席数2,150席
定員は舞台の設定により 1,928席 2,000席
2,150席に可変する ステージに設けられた
可動式音響シェルターが最大の特徴であり
演目に応じて適した舞台を設定することが可能
オーケストラの演奏会では 5列分の張り出し
舞台を利用することが多い 1990年代に
バブルは崩壊したが その後に残ったのが全国の豪華なコンサートホールであった 私は長野松本
「サイトウ・キネン・コンサート」 指揮:小沢征爾 松本文化会館 が印象に残るコンサートである
コンサートホール [クラシック(音楽)]
オーチャードホール入口である
なかなかの雰囲気で 1989年に
オープンした日本初の大規模
シューボックス型コンサート
ホールであり 優れた音響特性
を持つ 19世紀当時に最も
理想的なコンサートホールの
“形” 靴箱型のホールである
コンサートホールは 1961年
東京文化会館 をはじめとして
1970年普門館がオープン
あのカラヤンが来日公演を行い 1979年の普門館公演でライブ収録されたベートーヴェンの交響曲
第9番はカラヤン没後にCD化され「普門館の第九」として話題を呼んだホール 1973年NHKホール
1980年昭和女子大学人見記念講堂 カール・ベームが演奏したホールである 1982年 大阪府
のアリーナ型・シューボックス型(扇型)の本格的なザ・シンフォニーホール そして1986年にはあの
サントリーホール(アリーナ型) 1990年東京芸術劇場 1996年東京オペラシティ 私の想い出は
1997年すみだトリフォニーホール 1998年の長野オリンピックの前にこのホールで聞いた小沢征爾
のベートーヴェンの第九 ベートーヴェンに触れた涙のコンサート 人間の想像力に感銘を受けた日
名曲コレクション [クラシック(音楽)]
いま車で聴いているヴァイオリン
この響きは充実した秋の色と重なり
充実した時間として私を愉しませる
ヴィヴァルディ J.S.バッハ
モーツァルト ベートーヴェン
メンデルスゾーン ブラームス
シベリウス チャイコフスキーなど
数々のヴァイオリン協奏曲があるが
一般的に世界三大ヴァイオリン協奏曲と
いえば ベートーヴェン メンデルスゾーン
ブラームスといわれ その後にチャイコフスキー
シベリウスのヴァイオリン協奏曲が続くが
私には順番などあまり興味が無く その時の
心理状況によりいろいろと聴いている
私は メンデルスゾーンの協奏曲
ヴァイオリン演奏 チョン・キョンファ
指揮: シャルル・デュトワ モントリオール交響楽団
の演奏はお気に入りで チョン・キョンファの女性的なヴァイオリンの響き この曲の持つあるいは
ヴァイオリンの音色をやさしく最大限に弾き出している演奏である このCDはチャイコフスキーと
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が1枚に収まり そのチャイコフスキーの演奏も素敵である
ヴァイオリンの響きに [クラシック(音楽)]
この日は思いがけない演奏会に
出会い 充分に満喫して帰途に着いた
普段はバレエの舞台を観劇していて
この日クラシックオーケストラを
初めて聞く友人が一緒であったが
何処を観てよいのか解らずにいたという
なるほど 音楽は聴くものであるが
この日の席は前過ぎて 演奏者の姿が見えず
音と楽器を確認できない位置であった
初めてのコンサートのプログラムが
ブラームスであったのも一因である
もっとも私が三年かけて理解した
ブラームスの第一番を ここで「なるほど」
と言われても驚きであるが それでも
オーケストラの音色は肌で感じた筈である
帰って久々にDVDを鑑賞した
指揮 : パーヴォ・ヤルヴィ
ヴァイオリン : ヒラリー・ハーン プロコフィエフ / ヴァイオリン協奏曲 第1番である
今はブラームス シベリウス チャイコフスキー メンデルスゾーン そしてベートーヴェンの
ヴァイオリン協奏曲 このコンサートで燃え上がった炎 今は「芸術の秋」を愉しんでいる
魅惑の弦楽器 [クラシック(音楽)]
ライブで音楽を聴くの久々だが
ヴァイオリンのソロの響きを
聴くのは久々である この日は
前から9列目の中央より左側で
あった 久々のヴァイオリンに
こんなにも小さな楽器だった?
と改めて感じた次第である
全長は約60cm 重量は軽く楽器
にもよるが300~600g前後で
軽いものはテニスラケットと
同じ位である ヴァイオリンは
その音の美しさもさることながら オーケストラの中での弦楽器は演奏中に奏者の弓先と身体が
流れるように揃い 見た目にも美しく映る 擦弦楽器は弓をどのように動かすかという方法を
ボウイング(Bowing)というが ヴァイオリン ヴィオラ チェロ コントラバスのヴァイオリン属の
楽器など 擦弦楽器では弓の毛の部分を楽器の弦の上を垂直に交わるように接触させて音を出す
弓や弦の位置 接触させる毛の量(弓を傾ける角度)弓を動かす方向 弦に加える力の強さ 弓を
動かす速さによって音の強さや音色が変わる その音の奥行きの深さが演奏を愉しませてくれる
人間的な響きに [クラシック(音楽)]
パルティノン多摩<大ホール>
ホール内部である 落ち着きと
風格を持ち 徹底的に音響効果
を追及したコンサートホール
石の持つ重厚感とワンスロープ
方式の持つゆったりとした広がり
が舞台を華麗に彩るというのが
このホールのうたい文句である
ブラームスのバイオリン協奏曲
この曲もやさしくは無い
ブラームスは独特の世界があり
私はブラームスの森と呼ぶが その森の良さはその空間に入らなければ解らない またその時に
解らずともその良さが解る時は必ず訪れる 人の心も変化して行くからである ベートーヴェンと
ブラームスの音楽を比べるとベートーヴェンの音楽はシンプルに聴こえるが ブラームスの良さは
真剣なまでの遊びごころと不器用な繊細さ そしてドラマティック 音楽を通じて伝わるものである
ブラームスと共に [クラシック(音楽)]
今日の目的はこれである
「芸術の秋」久々のクラシック鑑賞
パルティノン多摩<大ホール>
2時30分開場 3時00分開演
演目はブラームスの作品二つ
ハルトムート・ヘンヒェン(指揮)
クララ=ジュミ・カン(ヴァイオリン)
ブラームス/ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.77
ブラームス/交響曲第1番ハ短調 op. 68
なかなかボリュームのある演奏会である
40年前ブラームスの音楽と出会った
エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
FM放送よりカセットテープに録音
繰り返し聴いた ラジオ放送の録音なので
指揮者もオーケストラの紹介もそのまま
録音されていて 今もこうして記憶に残る
難解なこの曲を何回も聴いて クラシックに
ハマって行った 青春時代の思い出の曲である
音の響きにも似て [クラシック(音楽)]
独特の雰囲気である
神社仏閣の空間の素晴らしさは
和風の空間を何時の時代も保ち
精神的な心のルーツとして
今も繋がりがあることである
新しい発見のなかの散歩で
歴史を垣間見る場に出会い
心が癒されると同時に この
空間に流れる風は現在と過去が
社殿と社務所をつなぐ廊下の
ように確りと繋いでいる そう
思えるのである 何時までも変わらずにいるこの風景はいつの時代も同じように人々の精神的な
部分を支えながら歩んで来た 時がもっとも緩やかに経過する空間であり何処か音楽の響きにも
似ている気がするのである 今私はブラームス 彼の音楽に寄りかかり満たされた時を愉しんでいる
さて王子散策はひとまず終わる その後の王子散策は今編集中 これがまた素敵な場所なのである